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黄昏色の樹の下で

一章 五話

 広大な王宮の敷地内でも取り分け大きな建物である文書館には、膨大な書物が保管されている。自国や近隣諸国の書物はもちろんのこと、誰が読むのか――というよりも読めるのか、と首をかしげてしまうような見たこともない文字で書かれた書物もある。そして、それを管理するのが文書館管理局だ。その局長であるウィスタは、各局の局長の中でも取り分け年若かった。

 彼は非常に仕事熱心だが、その熱心さには少々偏りがあった。彼は書物の収集に並々ならぬ情熱をかけていて、未だにこの館に収められていない本を探し出し、そして手に入れることに関して労をいとわなかった。複数の語学に通じている彼はそれを活用し、自国や近隣のすばらしい書物を見つけ出しては、館の本棚に丁寧に並べる。立場上長く席を空けられないので、遠くの国へは部下を蹴飛ばすようにして派遣し、いくつもの本を購入もしくは写本して持ち帰らせる。
 暇があれば翻訳をし、それを編集していた。もちろん本を手荒に扱う輩への処罰も抜かりは無い。

 この仕事を天職だと思いたかった。しかし、それには少しだけ、ほんの少しだけ壁というか障害というかひっかかりというか――

「何をブツブツ言っているのですか?局長」
「あ。いや。なんでもない。……ところで、それは?」

 部下が二人がかりで持っていた大きな木箱の中には、膨大な紙が入っていた。

「裁判局における、上半期の裁判の議事録や調書、検事録、罪状申し渡し書の写しなどです」

 気が遠くなりそうだった。

「……そうだったね。裁判局のは今日来るんだったね」
「明後日は政務局ですね」
「そうだね……」

 文書館は本だけではなく、治世にかかわる文書の保管も行っている。例えば裁判局で行われた裁判のあらゆる記録、財務局で作成された帳簿。それを整理して保管をするのも文書館の役目なのだが、何せ極秘事項も含まれる。そう簡単に人に任せられるものではない。膨大な量の書類をわずかな人数で整理する。

「とにかく、それを早く保管庫の前まで運んでおいてくれ。いつものように、その木箱の見張りも忘れずに頼む」
「わかりました」

 前々文書館管理局の局長が大雑把な正確だったため、所々過去の文書がめちゃくちゃに保管されている。前局長時代にウィスタは当時の局長と保管部屋の悲惨な有様を初めて目の当たりにして呆然としたものだった。そして、そこの整理は未だに終わらずウィスタを苦しめていた。

「局長……引退早すぎますよ……」

 ウィスタは前局長に思いをはせた。
 前局長は娘に三つ子が産まれると、「若いものに任せて、老いぼれは孫の面倒を見ながら余生を暮らすのだ!」と意気揚々をこの職を退いていったのだ。新たに運び込まれる書類と、過去の書類に囲まれて途方にくれているウィスタを置いて。

「運んでおきました。見張りは別の者がやっております。あとはよろしくお願いいたします」
「わかった。ありがとう」

 この職を天職と思いたかった。思いたかったが……しかし、ウィスタにとっては、あまり意味の無い数字や事実が書かれた紙の束の整理は苦痛だった。

「しかし、あれも書物といえば書物、書物、書物……」

己に言い聞かせるように暗くつぶやきながら、保管部屋に向かった。


 過去50年分のホド国における記録の数々は紙の上に残され、それぞれ薄暗い保管庫に収められる。しかし、無造作に棚に押し込めばいいというわけではなく、分類を行う必要があるのだが、実際の業務における分類と、保管庫における分類は異なっており、そのために手がかかる。また、時々関係の無い書類が混じっていることもあるので、一通り書類を確認しなければならない。非常に手間も根気も必要な作業だった。
 もっとも前々局長は気にせず豪快に書類を棚に突っ込んでくれたようだが。

「とりあえず、まだ終わってない財務局の方から片付けてしまおう」
「はい」
「では、黙秘の誓いを」

 ウィスタ達は、大きな獣が口を開けて威嚇する様子が掘りこまれた大きく重厚な扉の前で右手を胸に当てて、誓約を請う。

「汝ら、黙秘の誓いを示せ」
「我、黙秘を誓う」
「是なり」

 時に宮廷の奥底の情報も垣間見ることができるだけに、保管庫内の書類の内容を誰にも漏らさないというこの誓いを破った者への処罰は厳しい。特に厳しい時代では極刑を言い渡された事例もある。今でも、悪意を持ってこの誓いを破れば極刑の可能性もあるだろう。それだけに、この役目を担うのは口が堅いものばかりだった。

 ウィスタは施錠をはずし、扉を押すと、高い天井まで伸びるそれはゆっくりと開いた。

「さて。この箱を二人で裁判局の保管部屋の前まで運んでくれ。他は政務局の作業を開始」

「はい」

 保管庫に入ると広く長い廊下があった。高窓から光が差し込んでいるが薄暗い。
 少し進んだ場所にあった財務局の保管部屋の施錠をはずすと、「先に作業を開始していてくれ」と言い置いて、今度は裁判局の保管部屋へ向かい木箱を運び込む。

「ウィスタ様、これは政務局のではないでしょうか」

 財務局の保管部屋に戻った途端に部下の一人から聞かれた。見てみるとどうやら政務局にあるべき許可証だった。政務局と財務局は、お互いにまたがる業務が多いため、書類の行き来も多い。そのため、今回のように時折書類が紛れ込むことがある。

「本当だ。……これは後で私が処理しておくから、置いておいてくれ」
「わかりました」

 政務局では過労で倒れた人もいるとかいう噂をウィスタは聞いたことがある。財務局でも倒れる人が出るかもしれない。これはしかたないかな、と諦めにも似た思いでため息をついた。

 ウィスタが担当している貴族関連の書類だ。財産目録、納税記録、結婚許可証などなど。これは局ごとではなく、一族ごとにまとめる必要がある。
 ウィスタは署名欄のサインを慎重に確認しながら、それぞれ分類していく。誰と誰が結婚するとか、何を買うとか売るとか……国を治めるために必要な情報とわかってはいても、興味が無いことには代わりない。

「これが経典だったりしたらどんなに嬉しいか……」

 かの神殿の奥深くに注意深く保管されているという経典は、洗礼された文字で埋め尽くされた美しい書物らしい。しかし、神殿の関係者でも特に選ばれた人間しかその書物を目にすることが叶わない。
 何度も神殿に経典の閲覧を願い出ているのだが、ウィスタはその書物の表紙すら見たことはなかった。

 頭の中に描かれている経典と、目の前の数字の羅列した書類を比べて、ウィスタは今日何度目かのため息をついた。

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