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黄昏色の樹の下で

一章 四話

 ホド国の王宮内にある財務局はとても忙しかった。前国王陛下が崩御されてからこちら、継承問題でホド国の宮廷内は大混乱だったからだ。内乱にまでならなかったのは、当時王子だった二人の継承第一位、第二位の持ち主達が、継承権争いにまったく積極的で無かったのが幸いだったのかもしれない。

 何はともあれ、その争いのとばっちりで仕事の遅れや人事の大きな変更があったが、どれだけ宮廷内が混乱していても、国内の金や物や人は動く。今はなんとか落ち着いたとは言え、仕事はなかなか減らなかった。

「すまないが、誰かこの書類を政務局に届けてくれないか」

 そう財務局の局長のバラナが部下に声をかけても、誰の手も挙がらないのは仕方が無いのかもしれなかった。皆ギリギリの状態で仕事をしているのだ。

「仕方が無い。少し休憩がてら私が行ってこよう。他に政務局へ届ける書類はあるか?ついでに持っていこう」

 その途端、書類がバラナの手元に集まったのも仕方が無いのかもしれない。やっぱり皆ギリギリなのだ。
 そういうわけで、財務局のトップ自ら書類を手に執務室を出た。


 同じく王宮内にある政務局も混乱の極みだった。継承権争いのとばっちりを一番受けたのはこの局だ。前国王の葬儀、喪に服している間の外交的なやりとり、新国王の戴冠式から始まる様々な行事を企画して取り仕切る必要もあったりと、尋常じゃない忙しさが続いていた。

 挨拶をして政務局の執務室に入り、バラナは手元の書類をそれぞれの担当の相手に渡していく。しかし、何人かの席は空白だったために局長のイーシャの席へと行く。

「イーシャ殿。お仕事中失礼します」
「ん?あぁ、問題はない。バラナ殿自らどうしたんだ?」

 顔を上げてバラナの姿を見ると、イーシャは手にしていた書類を放り出し、目頭を指で揉んだ。

「ちょっと休憩がてらここまでお使いを、と思いまして。しかし、何人か担当の方がいないようなのですが」
「今、出張が二人と、過労で倒れたのが一人いてな。それは私が預かっておこう。至急のものはあるか?」
「こちらの紫貴石の取引許可書は早めにサインして頂けると助かります。他はまだ大丈夫でしょう。三人はいつ頃戻る予定でしょう?」
「出張の二人は、三日後に戻る。倒れたイルは…あと四日は無理そうかな。倒れた時に頭をぶつけて怪我をしていたしな。代わりに私がイルの仕事を引き受けるから、この書類も私がサインして届けよう」
「ありがとうございます」

 自分の仕事に加えて、部下の仕事も抱え込んで大丈夫かとバラナは心配になったが、言ってもどうしようもない事だとわかっていた。明らかに、他の人間に任せられるような状況ではなさそうだ。

「また紫貴石か。最近多いな」
「今は何かと入り用ですからね。しかたないのでしょう」

 新国王戴冠や新たな人事に際し、右手で新たな人脈を掴み取り、左手で古い人脈を逃さずに握っておくためには先立つものが必要だ。そのせいか貴金属の取引が増えている。

「しかし、ここまで忙しいとなると、こんなものの売買に許可が必要なんて面倒なことせずに、自由に売買さてくれ、と切に思うがね」
「まぁ、でも、紫貴石は特別でしょう。偽物が出回るとなると、大変なことになります」

 紫貴石は隣の国のキシン国のみで採れる、どの宝石よりも希少で美しい宝石だった。その分値段も高く、質の良いものだと一粒で一財産築けるとまで言われる。それほど高価であっても、その美しい宝石は貴族達を魅了し、時に傾国の宝石とまで言われている。
 バラナが聞いたところによると、許可制になる以前に、その魅惑の宝石の偽物が市場に出回ったことがあるということだ。どのような技術をつかったのか非常に精巧な作りで、愛好家達も簡単に騙されてしまったほどだ。二束三文の価値しかない石に大枚をはたいてしまった貴族や大商人が何人もいて、事態が発覚したときにはその石を買った者の多くは没落していき、一時国内が荒れた。
 まさに二つ名の通り、傾国の宝石である。
 そういうことがあってから、紫貴石の取引には許可を必要とすることにしたのだ。そしてその許可が無事に下りると、紫貴石の鑑定書を発行することが可能となる。

「それはそうだがな」

 不満そうにイーシャは鼻を鳴らした。
 バラナは思いのほか長い時間、雑談でイーシャの仕事の邪魔をしてしまったことに気づき、いとまを告げる。

「長々と話し込んでしまって申し訳ありません。そろそろ戻ります」
「別に構わない。いい気分転換になった。この書類は後で誰かに届けさせよう」
「よろしくお願いします」

 バラナは部屋を出て、いったん伸びをしてから柔らかい絨毯を踏みしめて歩き出した。

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