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黄昏色の樹の下で

一章 二十八話

「ウィスタ様、書簡が届いております」
「そこに置いておいてくれ」

 ウィスタは相変わらず紫貴石の追跡調査に追われていた。自分の本業でありそして趣味でもある、本の修繕や、新しく出版された 本のチェック、そして本棚の整理……諸々全てをここ最近行っていない。
 そんな鬱屈した中で届いたのが、白の部隊からの書簡だった。中にはとある文字がどこの国のものか知らないか、という内容だった。

「なんだこの文字は」

 できるだけ忠実に写したと書簡には書いてあるが、それでも似たような文字ですら見たことが無い。 角ばった文字は記号のような絵を抽象化したようにも見える物で、そしてどこで区切れているのかがわからない。

「1つひとつに意味があるのか?」

 今すぐにこの文字について調べたい、という欲求がむくむくと沸き上がるのをウィスタは感じたが、哀しいことに今は追跡調査をしなければならない。
 王から命令された調査が、件の盗賊事件と関係するということは予想がついているが、いったいなんの関係があるのかということをウィスタは知らない。

「確かに気象報告を偽ったのはいけないがなー」

 実際にウィスタが担当したわけではないのだが、調査によって気象情報を偽って報告していたということがわかったらしい。 これは罪であり、偽装した者は処罰を受けるだろう。しかし、紫貴石の調査は果たしていったいなんの為か。 一人で考えてみるが、これといった思いつきは無い。

 自分の執務室へと戻り、紙とペンを手に白の隊への返書をしたため、気分転換ついでに返書を早馬番の所に届けようと城へと向かう。
 相変わらず外に出た時に浴びる日差しはきつい。
 ふと、前に人にぶつかって書類をばら撒いてしまうという失態を犯してしまった時の事を思い出す。あの時の男にもう一回会えるだろうか。

「――ウィスタ男爵。久しぶりですね」

 後ろから呼ばれて振り返るとそこにはドーラがいた。

「お久しぶりです。ドーラ侯爵……どうぞ、私のことはウィスタとお呼びください」
「……では、私のこともどうぞドーラとお呼びください……ところで、ウィスタ殿はどちらへ?」

 ウィスタは失敗したと思った。侯爵相手に爵位付きで呼ばれるのにどうも落ち着かなかったからと思って頼んだのだが、つまりはウィスタもドーラのことを侯爵と呼ばないことを、暗に主張している意味にもとれる言葉だったからだ。

「……早馬番のところへ書簡を届けに参るところです」

 もしかしたらドーラの機嫌を損ねたかもしれないと、気まずげに返事をする。

「そのような……街の小間使いのような格好で?」

ドーラの目線がウィスタを頭からつま先までを往復する。
 小間使いで悪かったな、と心の中で悪態をつきながらも自棄になって「はい」とそっけなく返す。

「……ウィスタ殿はこの国の貴族の一員として、そしてこの王宮に仕える者として自覚はあるのですか?」
「もちろんあります」
「ならば、その格好はないと思いますが」
「確かに、あまり褒められた格好ではありませんが……それでもさして支障はないかと思うのですが」

 ドーラは優雅にため息をついて、綺麗に整えられた眉をしかめた。

「あります。いいですか?ここは栄えあるホド国の王宮。この王宮を華やかにするのは、手塩に育てられた綺麗な花やそれに 負けないくらい美しく優美な女性方ですが、だからと言って私達男性が手を抜いていいなどと考えてはいけない。 私達はこの王宮の華やかさを損なうことのないようにしなければならない」

 どこか芝居めいた口ぶりでドーラは熱弁をふるっていたが、ウィスタは「はぁ」と気の抜けた返事をした。

「まだ実感していないようですね」

 まるで役者のように、片方の眉をあげて、ドーラは続けた。

「では、あなたが好みそうな話をしよう。例えば、ここに他国の使者がいたとしよう。 私一人がここに立っていたら、美しい王宮に美しい貴族、と感銘を受けて熱い吐息の一つでも吐くだろう。その使者が自分の国へ 戻ったときにその様を何度も口上に登らせることでしょう。 では、あなたが立っていたらどうか。造り物の王宮は美しいがそこにいる人間に優美さは欠片も無い。使者は自国へと戻ったときにそう噂するでしょう」

 ドーラはウィスタの地位などすっかり忘れたようだった。

「作り物は美麗でも、そこに住まう人間はお粗末、そんな印象を他国に与えればどうですか?鄙者よなどと嘲笑い、見下す者も出てきましょう。確かに、あなたは書籍や語学に関する知識は豊富だ。しかし、その知識を己を見下している相手に披露してどんな効果が得られましょう。これが外交に影響することも ある。自分一人くらい……などと甘えた考えは持たないでほしい。そう考える者がたった一人いるだけで、他の貴族達が作り上げた調和を崩し 努力を無駄にする。それにウィスタ殿は局長という身分です。他国へと向かうときににわかに装ってみせても、すぐにボロが出る。 いつもあなたは正装したときに落ち着かない様子でいるが、それがどのように他者に見られているか、など考えたことはありますか?」

 ウィスタは顔が真っ赤になっているのがわかった。失礼極まりない発言だったが、確かにそうだ。ウィスタから見れば、意味の無いことのように思える趣味の絵画や彫刻の収集も、この王宮を華やかにする一端を担っている。その知識も半端なものではなく、目も確かで、他国からも鑑定の依頼が来ているのをウィスタは知っている。そして、それをつてに人脈を広げていることも。自分の閉じた世界で終わるのではなく、ちゃんと外との繋がりを考えている。
 ウィスタの仕事や趣味も確かに、この国のためになるだろう。しかし、そのことを意識したことはなかった。そもそも、どこかこの仕事を神聖視しているところがあり、自分の知識を他に利用することを――例えばドーラにように人脈を広げるとか――嫌っていた。しかし、それは正しいことだったのだろうか。ウィスタに反論の言葉はない。

「確かにそうです。そのように考えたことはありませんでした。ご忠告感謝いたします」

 悔しかったが、それは自分の至らなさのせいだ。ぐっと湧き上がるものをこらえて、ドーラに礼を言う。

「私も少々言いすぎたようです。申し訳ありません」

 どうやら、やっと自分が度を越した発言をしたと気づいたらしきドーラが、慌てたように謝罪をした。

「そうだ!お詫びに今度服をプレゼントさせてください。あなたにに似合いそうな服を贈りましょう」
「え?いや、そこまでしていただかなくても」

 正直なところ、やめてほしかった。ドーラの着ているきらびやかな服をみていると、どんなものが贈られるか不安だったからだ。まさか貰っておいて着ないなんて失礼なことはできないから、なんとしてでも 思いとどまらせたい。
 しかし、目を輝かせ「楽しみに待っていてくれ」と微笑んでドーラは去っていった。

「ちょ……」

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