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黄昏色の樹の下で

一章 二十七話

 駐留地にまでは土砂は来てはいたが、なんとか避難はできていたようで死者も怪我人もいなかった。それほど土砂の量も多くなかったのが幸いした。 村もあったが柵や家が壊れる程度の被害はあったが、騎士達が指示を出して避難させたために大した混乱はなかった。すぐに山から離れた平地に天幕を張りなおすこととなった。


 イリナとマルテはすぐに医者から適切な手当てを受けた。マルテは打撲とかすり傷ですんだが、イリナの腕の傷は縫合が必要だったし、右手は手のひら全体の皮膚がこそげ落ち、ひどく化膿したこともあってしばらく使えないようだった。 痛み止めが効いていたためか、縫われている間、イリナは泣くことも暴れることもせずに腕を差し出していて、むしろイリナに付き添っていたアレンの方が まるで自分が縫われているかのように痛みに耐えている表情だった。

「イリナ。横になったほうがいいよ。ここは他に誰も入らせないようにするから、安心してくれてかまわないから」
「ありがとう」

 イリナは傷の治療が終わった後に、小さな天幕に案内された。 この土砂崩れでイリナの小屋がどうなっているかわからないし、怪我もしているということで、しばらくは駐留地に留まる ことにしたのだ。

「服……汚れているね。俺のでよければ貸すけど……?あ、やっぱり男の使っている服を着るなんて嫌かな?」
「いやじゃない。ありがとう」
「なら、ついでに湯も持ってくる。身体拭きたいだろう?」
「うん」

 どことなく嬉しそうな顔をして、こくこくと頷く。やっぱり女の子なのだ。

「じゃぁ、取ってくるから待っていてくれ」



「大変な目にあいましたね」

 マルテが肩に湿布を貼ってもらって天幕を出ると、ヒアと一緒のロンが話しかけてきた。

「本当に。イリナ殿のおかげだ」

 疑っていた相手に、しかも少女に助けられてしまい、正直なところマルテは情けない思いをしていた。

「イリナ殿って本当に変わっていますね。自分に無頓着というか、危機感が無い気もしますし」
「確かにそうだな」
「ほら、イリナ殿の小屋に行ったときがあったじゃないですか」
「あぁ、あったな」

 その後マルテがイリナの小屋に忍び込みこんだのだ。そう言えば小屋を訪ねたときにロンも一緒にいた。

「あの時に、騎士とはいえ大の男が四人もいるのに、あけすけに着替えるとか言ったときには、呆れました。思わず警戒心を持てと説教をしたくなりましたよ」

 その時同行していなかったヒアは、ロンの言葉に目を丸くした。

「確かにそうだー」

 マルテは顎に手をあてて、その時のことを思い出しながらロンの言葉に大きく頷いた。複数の男が山奥の自分の家にいるのに、己から着替えるなどと発言するのは危険だと思わないのか。別の部屋で着替えるとはいえ、あまりに迂闊すぎる。そもそも、家に招くことをせず薬を後で届けるという選択だってできたのだ。もしマルテ自身が女ならば、家になど入れずに薬草を自分から届ける方を選ぶだろう。わざわざ自分のテリトリーに招き入れることなどしない。それほど彼女は迂闊なのだろうか?しかし、彼女が独り身なうえに流れ者だとすると、もっと危機感や警戒心が必要なはずだ。いや、流れ者でなくても必要だろう。そうしなければ彼女のような幼い娘など、すぐに攫われて殺されるか売られるか……とにかく何かしらの事件に巻き込まれているはずだ。

 そう考えると、単身で燃える村に駆けつけたことも不思議だ。まずはコロエ村に報告するものではないのか。 何かしらの事故なり事件なりが起きていて、イリナはそれを一人で解決できるとでも思っていたのか。 しかし、今日の彼女を見ていると一人で解決できると思っての行動だとしても頷けるかもしれない。何しろマルテを背負って山を 駆け下りたのだ。火事を見つけてできるだけ早く駆けつけて消火や救出活動を行おうと考えたかもしれない。
 どんどん、思考が泥沼にはまっていく。

「マルテ殿、どうしたのですか?」
「あ、いや。すまない。ちょっと考え事を」
「あまり無理しないでください。今日はもう休まれた方がいいですよ」

 確かにそうかもしれない。疲れていては頭もうまく回らない。

「マルテ様ー」

 アレンが小さな天幕から出てきて、マルテの名を呼びながらかけてきた。

「イリナ殿にはあちらの天幕で休んでもらうことにしました」
「無闇に誰かが近づかないように指示をだしておこう。……どうした?顔が赤いようだが」

 確かにアレンの耳や頬が真っ赤になっていた。

「いえっ。あの……そのっ」
「何かあったのか?」

 三人に注目されて、更にうろたえた様子のアレンは、しぶしぶと理由を話した。

「実は……イリナ殿の服が汚れているから、せめてでもと思って俺のローブを貸したんです。あ。もちろん洗った綺麗なやつですよ。 そうしたら、イリナ殿がいきなり服を脱ぎだして……っ。出て行こうにも、腕や手の傷なんか気にして無いように動くものだから、 慌てて止めなくちゃいけなくて。さすがに驚きました」

 イリナの行動にマルテもロンもヒアも呆れ顔だ。

「イリナ殿、もしかして自分が女だと思ってないとか……?」
「実は……男とか?」
「いやっ、それはないかと。わずかですけど胸のふくらみがありまし……た、し……」

 言ってから、アレンは失言だったと気づいたようだ。

「別に全部みたとか、そういうわけじゃなくて!あのっ、ちょっと下着越しにちらっと、見えただけでっ。まじまじと見たとかじゃなくて。だから!」
「お前、ちゃっかりしているなー」
「だからあんなに真っ赤だったのか。うい奴め」

 ぬかりなくロンとヒアがからかうと、自分で大きな墓穴を掘ってしまったアレンは首まで真っ赤にしていた。


 マルテはウィドが休んでいる天幕へ訪れた。さすがに連日の激務に加えて今日の災害でウィドも疲れたようで、今は仕事を放棄して休んでいた。と言っても、寝転がりながら書類を読んでいるのだから、完全な休息とは言えないが。

「お休みのところ申し訳ありません」
「いや。大丈夫だ」
「イリナ殿には一番小さい天幕を用意して、そちらで休んでもらうことにしました。今はアレンをつけております」 「そういう報告は他の者に任せてお前も休めばいいじゃないか」
「いえ。丁度あの地図のあった場所の調査報告をしたいと思っていたので」
「洞窟か?」
「はい。ご存知でしたか?」
「イリナ殿に聞いた。お前を助けに行くときに」

 マルテは納得気に頷いた。

「あの洞窟は人が隠れるということには不向きのものです。周囲にもその気配はありませんでした。また、人が通った形跡はありましたが、頻繁に出入りしている ようにも思えませんでした。洞窟へ通じる道はわずかに下草が倒れているだけだったので」
「今回の土砂崩れでも、盗賊が逃げ出てきたりはしなかったからな」
「ですので、イリナ殿はほぼ白かと」

 しかし、ウィドは納得していない顔だった。

「納得していない顔ですが……何かありましたか?」
「うーん……」

 ばりばりと頭を書いて、迷っている顔をした。

「イリナ殿、俺達の目を見て話さなくなったよな」
「そういえば……」
「最初は俺達がたじろぐ程まっすぐに目を見て話していたのに、最近は目を合わせずに話す。何か隠しているのではないかと」

 あの時――イリナの小屋で質問をしていたときに感じた違和感はそれだったか。

「あと、これはちょっと荒唐無稽な気もするのだが……彼女は魔族なんじゃないか、とか」
「まさか……」
「確かにその可能性は低い。俺だって色々と自問自答を繰り返してきた。しかし、そこはまず置いといてだ。例えば彼女が とても強い魔族だとしよう。一人で村を潰せるほどの……だ。そういう魔族がいると聞いたことがある」

 マルテも聞いたことがあった。しかし、そんな強い魔族はほとんどおとぎ話のような存在だ。

「わかっているよ。そんな魔族は滅多にいないということは。しかし、実際にいたと考える。そうすると、村人全員を殺さなくては いけない理由もわかる。生き残りがいたら、あの運動能力の高いイリナ殿が一番に疑われるだろう。あの幼い姿で警戒しろというのは 無理だろうから、それで何かしらの理由をつけて村人を一所に集めて殺した。川へ続く馬の足跡に関しては虚言。だもんだから、俺達が 疑いの目で見ていると気づいて、態度が変わったのではないか。……どうだ?」
「……別に魔族であろうとなかろうと、彼女には尋常じゃない力があるという事実があります。確かにそういう可能性も……いや」
「違うか?」
「よく思い出してください。被害にあった人達の傷口を」
「……そうか」

 報告書には主に剣で切られたような傷跡だったが、太刀筋は様々だった。そして所々鈍器で殴られたり、棒の様な物で 突かれたような跡もあったという。

「やっぱり複数の犯行でしょう。それに一人で村を襲撃しても、奪った金品を一人で運ぶのに恐ろしく時間と手間がかかる。 私でしたらこんなにたくさんの村を襲撃なんてしません」
「こんな簡単なことに気づかないとは、俺も相当疲れているのかもな」

 ふぅ、とウィドはため息をついた。

「そろそろ駐留場所の変更をかねて、調査する場所も変えましょうか。あまり長居をするのも良くないですし」
「そうだな」

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