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黄昏色の樹の下で |
一章 二十六話 |
マルテは間抜けにも濡れた地面に足を取られて洞窟の中に滑り落ちていた。幸いなことに怪我はなかったが、出口の光が高くて遠くてげんなりとしていた。 「暗いから見にくいな……これは戻るのは大変そうだ」 手で足を引っ掛けられそうな場所を探していって這い上がるも、暗い上にすぐに細かい砂や濡れてつるつるした石で滑り落ちてしまい
なかなか進まない。 「ん?何の音だ……?」 何の音だろうと、耳をそばだてているといきなり声がした。 「マルテ!いる?」 イリナだった。 「な、なんでイリナ殿がここに!」 ウィドと一緒ではなかったのかと、イリナの周囲を隠れて嗅ぎまわっている自覚はあったマルテは突然のイリナの出現に冷や汗を感じていた。 「マルテ、落ち着いて聞く。土砂崩れ、くる。ここきっと危険」 ふと、淡くゆれる光がどんどん近づいてきた。それはイリナの持っていた松明だった。 「マルテ、急ぐ」 イリナが手を伸ばして斜面の上からマルテの手元を照らしたおかげで、周囲を見ることができた。つかめそうな岩やでっばりに しがみついて登っていき、やっと立って歩ける比較的緩い斜面まで戻れた。 「すまない。ありがとう」 イリナとマルテが入り口へと早足で向かおうとしたとき、再び先ほど聞いた低い音がした。 「もしかして、これは地鳴りか?」 歩きにくい道に足を取られながらも転げるようにして洞窟を出ると、暗い洞窟の闇に慣れていたマルテは、外の強い光に目を細めた。 「乗る」 これは背中に負ぶされということだろうか。しかしどう見ても、イリナの背丈も横幅もマルテの3分の2ほどしかない。見るからに頼りない背中を見ながら戸惑っていると、焦れたようにイリナが振り向き、マルテの胸倉を掴んだ。 「っ?!」 その細い腕に似合わない強さで引っ張られ、マルテはあっけなく体勢を崩した。そして素早く背を向けたイリナに倒れこむように肩にもたれかかった。すぐさまイリナがマルテの両足を抱え上げると、落とされないようにとマルテは思わずイリナの肩を掴んでしまい、不本意ながらもマルテはイリナに負ぶわれる形となった。 「木、当たる!」 イリナのいきなりの言葉に意味がわからないまま前方を見ると、すぐ先は右へと緩く曲がる道になっていた。しかし、イリナはそこを曲がろうという素振りを見せない上に速度を落とそうとすらしない。 「……っ」 顔を守る代わりに木に左腕を思い切りぶつけたマルテだったが、左肩で全てを受け止めていたイリナはマルテの比ではなかったようだ。ぶつかった時の衝撃の大きさと、歯を食いしばったために浮かんだイリナの首の筋を見て、その痛みの大きさを知った。 「ウィドぉ!!逃げる!」 ウィドに警告するために木に体当たりしてまで止まろうとしたらしい。 ――後ろを見ている? 突然轟音がした。 「その先は右へ曲がってください!」 そうすれば、落ちてくる土砂の横へと逃げられるはずだ。この轟音の中で聞こえたか不安だったが、ウィドはしっかりと右へと曲がるのが見えた。 「イリナ殿も右にっ」 返事はなかったが、ちゃんと伝わっていたようだ。緩やかに右へと身体が傾いていった。そして右手をマルテの足から離したかと思うと、道の側の太い一本の木の幹を掴んだ。 「ぐ……っ!」 左へと力が加わる。イリナが木の幹を支点にして方向転換をはかったからだ。幹にかけた右手はすさまじい速さで駆けてきたイリナとマルテの二人分の体重を支え、ざりざりと擦れて血を流しながらもぐるりと右へと曲がることができた。 「イリナ殿!横!!」 木々の隙間から、黒く大きな影がイリナとマルテに迫っているのが見えた。 自分の名まえが呼ばれたような気もしたが、それはどこか遠かった。 「…マ…ルテ!!手離す!頭まもれ!」 唐突に遠かった声が近くなり、マルテは轟音と供に降りかかってきた土砂から頭をかばった瞬間に放り出され、宙に浮かぶ感覚がした。どちらが空でどちらが地かもわからないままに地面に背中をぶつけて着地し、そのままぬかるんだ緩い斜面を転がり落ちて肩を木に強くぶつけた。頭にまで響くその鈍痛を身を固くしてやり過ごした後に、飛び起きてイリナを探そうと立ち上がろうとしたが足に力が入らなかった。 「イ、イリナ殿、大丈夫か」 ずきずきとする肩と頭を押さえて、とりあえず声を掛けてみるが返答が無い。その代わり、自分達を呼ぶウィドの声がした。 「こ、ここです!」 足音が近づいたかと思うと、「大丈夫か!」と声をかけながらウィドが駆け寄ってきた。 「私は大丈夫です。それよりイリナ殿は……」 ウィドがすぐさま立ち上がって駆けていったが、マルテからはイリナの様子は見えなかった。 「マルテ」 返事をしながらウィドとイリナの方へと向かうと、ウィドの腕には気を失っているイリナがいた。 「命に別状はなさそうだ。ちょっとイリナ殿を見ていてくれないか。俺は馬を連れてくる」 ウィドはマントを地面に敷き、その上にイリナをそっと横たえると駆けていった。 「こめかみの傷、跡が残らないといいが……」 そっと指で顔の汚れをぬぐっていると、必死に鳴きながらホムラがイリナの元へと駆けてきた。そしてチィチィと鳴きながらイリナの顔に乗りあがりしがみついている。 「こら。顔に乗るんじゃない」 ホムラの首根っこを掴んで、ぽいっと投げると、ホムラはコロコロところがり岩にぶつかって止まった。それで諦めるかと思えば再びイリナの元に 駆け寄ってくる。再度同じようにどかしてもまた戻ってくるのだ。 「お前、だから顔に乗るんじゃない!」マルテの怒りなど構わずに相変わらずホムラは鳴き続けていて、あまりの必死さにさすがにマルテも気がそが、結局は好きにやらせるようにした。 「ん……」 マルテに抱えられていたイリナが身じろいで、うっすらと目をあけた。その事に気づいたホムラがいっそう必死に鳴いて自分の存在を 示そうとしていた。 「イリナ殿、大丈夫か」マルテも思わず声を大きくしてしまう。 「痛い」 右手でこめかみを触ろうとしたのか、少し動かそうとして痛みに眉をしかめた。 「中隊長が馬を連れ戻して来たら、一度麓まで降りよう。医者に見せなくては」 馬の足音がして、振り返ると少し興奮した二頭の馬を連れたウィドがいた。 「いやぁ、こいつら興奮していて大変だった」 ウィドは自分の馬を落ち着かせるように撫でた。 「さすがにイリナ殿も走れないだろう。私が乗せていこう。お前は肩を痛めているようだが……大丈夫か?」 土砂崩れが起きたのは駐留地の真上ではなかったが、広範囲で土砂崩れが起きたなら、怪我をしたり死者が出ている 可能性もある。 「そうですね。イリナ殿、少しきついかもしれないがすぐに移動をしたい。よろしいかな」 マルテとウィドが補助をしてイリナを馬に乗せ、焦る気持ちを抑えながら麓へと戻った。 |
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