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黄昏色の樹の下で

一章 二十五話

 マルテは地図を片手に、鬱蒼と茂る薄暗い木々の中を歩いていた。下草が倒れているのを見て、かろうじて人が何度か通った形跡を見ることができるが、濡れた大きい岩や小石がごろごろと転がり、横から飛び出している木の枝や蔓がマルテの行く手をはばむ。
足場が悪いために馬は途中で置いてきた。

「さすがに、ここに盗賊が隠れているというのはなさそうだな……」

 隠れるのには最適ではあるが、馬すら通れないのだから盗賊集団の隠れ家としては不向きだろう。マルテはため息をつきながら地図を見た。印のついた場所の近くにいるはずなのだが、残念ながら一向に何も見えない。
 そろそろ戻るかと諦めかけながらひと際大きな岩に上ってみると、少し先に光が見えた。どうやら開けた場所があるようだった。苔で滑りそうになりながら期待に胸をふくらませて歩を速めた。
 そこは一段高くなった岩場で、その奥に崖がありぽっかりと洞穴が口をあけていた。入り口の大きさはマルテの背の軽く二倍はある。

「ここか……」

 手にしていた地図を仕舞い込み、岩場を登って洞穴を覗き込む。奥は暗くて見えない。洞穴は入り口からすぐに急な下り坂になっていた。マルテが石を投げ入れてみると、随分と長く転がり落ちる音がした。

「深そうだ」

 残念ながらマルテは松明を持っていなかった。ここまで来たのだから中を見てみたいという欲求と、装備を整えていないままこの洞窟の中入るのは危険だという理性が戦っていた。
 結局は少しだけ欲求が勝ち、明かりの届くところまで入ってみようという結論に達した。
 洞窟に一歩踏み込んだマルテは気づかなかった。遠くでほんのわずかに地鳴りがしたことに。


「ここ、湧き水、近い。人、通る道、近い」

 イリナが案内した場所は、山道から少し外れた場所で、崖が影になっていた。

「追われているときにここに逃げ込むこともできますね。湧き水もありますから、一時的な休憩所としても使える」

イリナの案内でこの山についてはほぼ完璧に把握することができたためか、ロンは満足そうにそう言った。

「ここにも何か印をつけておくか」
「そうですね。あの木の根のところに、傷をつけておきます」
「あまり目立ちすぎないようにな」
「わかってますって」

 ロンがひらひらと手をふりながら、山道の方へと歩いていった。

「今日はこれで終わりにしよう。ありがとうイリナ殿」

 ウィドが声をかけたが、イリナは山の上のほうを見つめたまま動かない。

「イリナ殿?」

 おもむろにイリナはひざまずき、髪や顔が汚れるのも構わずに地面に耳を当てた。

「馬、足の音、うるさい。うごくな」

 地面に耳を当てたままのイリナの鋭い言葉に、面食らいながらもウィド達は何故か先ほどから落ち着きのない馬をなだめた。

「どうかしたのか?」
「……音、する」
「音?」

 しばらく目を閉じていたかと思うと、イリナは急に起き上がった。

「危ない。逃げる!」
「どうしたんだ、イリナ殿」
「土、崩れる!水、いっぱい流れる!雨、いっぱい降ったから!土砂崩れくる!」

 その場にいた三人の騎士の顔が青くなる。

「マルテ。この山いる。どこ?知ってる?」
「早く知らせなければっ! マルテはもっと上の方にいるはずだ」
「どこ」

 起き上がったイリナが、ウィドの持っていた地図を指差しながら聞く。

「たぶん、もっと頂上に近い東にそれた付近。ここら辺だ」
「洞窟、行ってる?」

 イリナが眉をしかめた。

「洞窟?わからないが、そういうものがあれば調べているだろう」

 もしかしたら、イリナが印をつけていたのは洞窟のことかもしれない。

「先、上行く。二つ、道、分かれてる。そこ右!私、別の道、行く!」

 そう言ったかと思うと、イリナは駆け出していった。

「お前達はロンと一緒に麓へ!皆に知らせろ!」

 馬に乗り命令を下し、馬に鞭をうち、駆け出しながら返事が後ろでするのを確認した。

「ウィド中隊長?」

 丁度戻ってきたロンがウィドの形相に驚いているようだったが、かまってはいられなかった。
 山道を駆け上がっていると、言われた通り進んだ先の道は二手に分かれていて、そこを右に進んだ。
 山は静かで不気味だった。
 どんどん道が細くなり、足場が悪くなって馬から降りたほうがいいだろうかと考えていた矢先にマルテの馬が木に繋げられているのを見つけた。鞍の上にはホムラが乗っている。

「ホムラ……イリナ殿はこの先の道へ行ったのか?」

 当たり前だがホムラからの返事は無い。馬の上から下りることができないのか、それとも動物の勘で土砂崩れの可能性を感じ取っているのか、どうもそわそわと落ち着かない様子だった。それはマルテの馬も同じだった。
 マルテの馬の手綱を取り、無闇に自分がこの先の道を進んでもあまり役には立たないだろうと考えてその場で耳をそばだてながら待機する。いつどこから土砂が降ってくるかと気が気ではなく、ウィドも落ち着かない。

「イリナ殿、たのみます」

 どこか祈るように呟いた。

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