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黄昏色の樹の下で

一章 二十三話

 「準備ができた」と、イリナが出てきた。大きなバッグを肩から提げていて、その肩には子どものこぶしくらいの小さくて白いラァドが乗っていた。

「ホムラ」

 相変わらずの無表情でイリナが厳かに小さなラァドの名前を告げると、ホムラと呼ばれたそのラァドは自分のことを言われたとわかっているのか、 小さな赤い瞳をウィドに向けてチっとどこか誇らしげに一声鳴いた。

 「ずいぶん人に慣れたラァドだなぁ。昨日会った時にはいなかったが?」
「村みんな、ラァド、苦手」
「なるほど。だから連れてこなかったのか」

 ウィド達は特にラァドを好むわけではないが、嫌悪するほどでも無い。
 ウィドがホムラを指先でつつくと、チィチィと抗議の声をあげて、その指を撃退しようとする。

「もしかして……食べさせすぎてはいないか?」

 いやにぽってりとしている。

「……」

 どうやら食べ物を与えすぎている自覚はあるらしい。

「……行くか」
「うん」

 マルテはイリナに事情を話し、先に山を下っていた。

「まず、盗賊が隠れられそうな場所はあるか?そこを地図に記しておきたい」
「ある。こっち」

 イリナは昨日の疲れもなさげに走り出した。


 マルテは頃合をはかって、イリナの小屋に戻った。
 ドアに鍵がないのは確認している。こんな所にくる酔狂な人間はいないだろうと思ってか、 それとも几帳面なくせにこういうところは大雑把なのか、小屋の鍵は壊れて錆びついたままにされているのだ。
 ギィっときしんだ音は実際はそれほど大きくはなかったはずだが、もしも部屋に誰か潜んでいたら……などということが頭をよぎり、その音がひどく大きく感じた。

 マルテはイリナの寝室のドアに手をかけた。入るときに人の気配がないことは確認したが、もしかしたら 誰かが息をひそめているかもしれない。しかし、剣を手に勢いよくドアを開けてみたが誰もいなかった。すぐに貯蔵庫の方のドアに 駆け寄り、開けてみるがそこにも誰もいない。

 やっと身体の力を抜いて薄暗い貯蔵庫を見てみたが、薬草が天井からぶら下がり、棚には何やら野菜のビン詰めや干した肉、油紙に 包まれた大きな塊など、ごたごたと置かれていて、人の隠れるような隙間はなかった。
 あと何かあるとしたら寝室しかない、ときびすを返す。
 寝室を覗いてみると、そこにはベッドと机、行李などがあった。机の上にはインク壷にペン、そして 走り書きのされた紙やら本やら。 行李の中には服。特に目立つものはなく、あえて言うならば、真っ白い上質なローブのような服がこのようなみすぼらしい場所にあることに違和感を覚えるくらいだろうか。
 イリナの国の服なのか、袖の無い薄手のそれはひどく手に優しい。
 しかし、もしかしたらそれが異国の下着かもしれないと気づいて、しげしげと肌触りを確かめていた手を慌てて引っ込めた。
 このような上質の下着は一般庶民に持つことができる物ではない。しかし、イリナを見ていると地位の高い者のようには思えない。ローブであるなら、祝い事用に少し裕福な家なら上等な物を一着や二着ぐらい持っているだろうが、この服一枚で外をうろつくのも考えられない。
 もし下着だったとしたらと考えると、さすがに気まずい思いがした。
 結局ローブだか下着だかのことは置いておき、机を探った。手紙や何かしらの情報を知る手立てでもあればと期待したが、 それもむなしく泡となり消えた。イリナの国の言葉なのか、見たことの無い字が並んでいたからだ。

「どこの国の字だ?」

 カクカクとしているその字は、妙に字画が多い文字だった

 もしかしたら文書館の館長ならわかるかもしれない……と、最初の一文をできるだけ正確に自分の手帳に書き写した。至急問い合わせてみるつもりだった。

 何か自分でもわかる絵などが出てくればいいのだが……とさらに本のページを繰るが、残念なことにそれらはなかった。
 いくつか散らばっていた紙も相変わらず異国の言葉で書かれていたが、一枚だけ地図があった。

「この山の地図だ」

 いくつか書き込みがされているが、特に強く丸で囲まれているところがあった。その位置とともに地図を手帳に記す。
 結局それ以上探してみても、さほど収穫はなかった。
 異国の字や地図を書き写していたら思いのほか時間がかかってしまったため、大急ぎで手に取ったものを元通りの配置に戻して、ウィドはお金を置いてそっと小屋を出た。

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