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黄昏色の樹の下で

一章 二十一話

 文書館の即席の作業部屋では、それぞれの局や臨時に雇われた者達が大量の資料を前に発狂しそうになっていた。

「1546年の記録記録……北の建築記録はどこだよ。なんでこんなに探しにくいんだっ」
「はいはいー。1534年の紫貴石の取引を追跡しました。1535年に入りますー。ガトーさん、さっそく計算お願いします」
「あいよ。まかせとけ」
「振った雨の量ってぇ、どうやって調べてるんですかぁ」
「それはね、まず桶を想像して欲しいのだけど……って、そんなことよりも早く計算を始めなさい」

 雇われた街の者達と局の人間が入り混じり、そこは王宮の中でも異質の空間となっていた。

「あの、この計算、間違っていませんか?数量が合わないのですが……」
「そんなはずは……」

 初老の男から見せられた書類を手に、バラナは首をかしげる。

「……もしかして、計算のやりなおしが必要だったりしますか?」

 絶句した様子の初老の男の横では、中年の男がどこか病的な様子で、積みあがった書類を一心不乱に分類していた。

「ちょ……っ。ああっ!崩れる崩れる!!」

 高く積み上げられた分類済みの書類が傾き、むなしくも中年の男も共に崩れ落ちた。

「……帰りたい」

 それを見た、別の男が泣き言をかました。


 イアンは難しい顔をして、王の執務室に入ってきた。

「陛下、途中ではありますが調べ終わったものをお持ちいたしました。降水量の件です」

 ダルシャは差し出された書類を受け取らず、イアンに尋ねた。

「見たんだろう?どうだった」
「即刻の対処が必要かと思われます」
「あぁ。しかし、恐らくこれが全てではない」
「だから他にも様々なことを確認させているのですか?」
「全てを解決するために、この手間は必要かな」
「担当の者達にもっと急ぐよう言っておきます」
「怖いな」

 王はおかしそうに笑った。

「笑い事ではありません」
「そうだ。笑い事ではないんだよ。――あぁ、外を見てみるんだ、イアン。雨が降りそうだ。……この時期に珍しい」

 王都を覆っている黒くて厚い雲を見て、王は目を細めた。

「黒の隊は、もうすでに動かしてある」

 遠くで雷鳴がした。



 村では朝から小雨が降っていた。しかし、野営のための天幕はそれを見越して平らな石の上に張られたから特に問題はない。

「今日から交代で休憩を取るようにする」

 交代でまだ襲われていない村を監視する部隊と、捜索する部隊に分かれて行動をする。あまりおおっぴらに動けない以上、賊が現れるのを待つしかない状況なのが正直なところだった。

「もし村が襲撃されたら、さきほど渡した狼煙を上げること。すぐにかけつける」
「は!」

 監視部隊は静かに出発した。

 昨日隣村まで視察にいったウィドやアレン達は、午前だけ先に休憩をとることにしたが、それでもアレンは何かと細々なことを手伝っていた。
 その小さな姿でちょこまかとマメに働く姿に他の騎士達の里心が沸くのか、まるで弟にするかのように頭をなでられたり声をかけられたりする。最初は恐縮していたアレンも、今では「やめてくださいー!」とむくれながら抗議をしていた。

 「それにしても、白の隊って結構気さくな方が多いですね。もっとこう……誇り高い人が多いと思っていました。あ!皆さんが誇り高くないとかそういう意味ではなくって……っ」

 朝食で使った皿を洗っていた手を止め焦って顔を赤くするアレンに、並んで一緒に皿洗いをしていた騎士が笑いながらからかう。

「そうだなー。隊ごとに特色があるけれど、うちの隊はわりと貴族や平民の間のいざこざがあまりないかな」
「だなぁ」

 そう頷いて話す二人は、片方のロンは貴族の次男で、もう片方のヒアは片田舎から出てきた三男だった。

「一応、白の隊では位の高さは関係ないって名目になっているが、それでもやっぱり来たばかりの奴らは 最初ぎくしゃくしている。それはしかたないがな」
「うんうん。誰とは言わないが、ほーんとうに高飛車な奴が入隊したときにー、爵位を持つ私がこんな下男がするようなことできるか! って仕事放棄してさー」
「あ、あれは!」

 ロンが顔を真っ赤にしてヒアを止めようとする。

「後でウィド中隊長に呼び出されて、お前は任務で自分達のみで野営するときにも勝手に下男や侍女を連れて行くのかー!って、すっげー怒られてたんだよー」

 たまたま見ちゃってすげー怖かった、とヒアが笑う。

「紫金の隊に元々いたからな。あそこの任務はほとんど王都から出ない。王が出陣なさるときには僻地に行く場合もあるにはあるが、紫金は王の近くを守ることが多いから、下男や侍女、側女も近くにいるしな。だから今のような状況など頭からなかったのだ」

 紫金の隊は王都を守る隊で、ほとんどが貴族出身の者で構成され、朱金の隊は僻地や王都の外側を守る隊で平民出の者が主だった。 そのためどちらかの隊から白の隊に編入する騎士、特に紫金の隊からの騎士は、いさかいをよく起こす。

「側女まで戦争に連れて行くんですか……」
「王によってはねー」
「まぁ、うちの隊はウィド中隊長の人柄のおかげか、紫金からきた奴らも朱金から来た奴らも馴染みやすいかもしれない」
「確かに気さくですよね」
「まぁなー」

 ウィドは王家とも縁戚関係にある程の地位を持つが、そのようなことをアレンに言っても緊張させるだけで 益はないだろうと、二人は黙っていた。
 皿洗いを終えたアレンは、今度は繕いをするからと、天幕の中へと入っていった。

「なんてまめな」
「みならったらー?」
「俺が針と糸を持ったらどうなるかわかるだろう?まだ皿洗いと洗濯がやっとだ」

 ロンは毎回針と糸を手に自分の服を繕おうとしては服を血まみれにしている。

「指をあんなに刺して縫っても、縫い目はがたがただしな」
「あれには笑ったー。一騎打ちに向かう戦士のような顔をして針と糸持ってるんだもんー」
「どうも、針の長さと布の厚みの関係をまだ身体が覚えていないらしい。縫い物をしていると予想していないときに、予想していない位置から針が顔を出す」

 剣ならわかるんだけどな、としみじみと言うロンを見て、ヒアは爆笑した。

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