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黄昏色の樹の下で |
一章 二話 |
イリナが向かったのは、山のふもとのコロエ村だった。村の畑の側を歩いていると、畑仕事をしていた男がイリナに気づいて遠くから叫んだ。 「イリナ!丁度良かった。ヤクタのところの三兄弟が揃いも揃って熱を出してるんだー!薬持っていたら行ってくれないかい?」 野山の木や草に詳しいイリナは、村人があまり立ち入らない山奥に自生している薬草や山菜などを村に持ってきては、食べ物や日常で使う雑貨と交換している。最近流れてきたイリナが割り合い簡単に村に受け入れられているのも、医者のいないこの村でイリナの知識が非常に重宝されているからだった。 「……もういっかい。ヤクタ、どうした」 イリナはまだこの国の言葉を上手く使うことができない。遠くから叫んで寄こされた言葉をちゃんとは聞き取れなかった。男は「こりゃ、すまねー」と言いながらイリナに近づき、今度はゆっくりとイリナに伝えた。 「ヤクタの子どもが風邪をひいたんだ。薬を持っていってくれないかい」 いつもは真っ直ぐに村長の家に向かって薬草をまとめて置いていくのだが、少し遠回りをしてヤクタの家へと向かう。 「あら、イリナ」 チムタの葉には解熱作用がある。 「助かるわ。そろそろお薬が無くなるから、イリナの所にもらいに行こうかと思っていたの」 チムタの葉を受け取ったリリナは「ちょっと待っていておくれ」と言うと家の中に入り、手に焼き菓子を持って戻ってきて、イリナに渡した。 「チムタのお礼よ」 兄弟は随分と長く寝込んでいるのだろう。いつもだったら赤くつやつやしているリリナの頬もガサガサになっていた。 リリナと別れると、当初の目的だった村長の家へと向かう。村長とは言えども田舎の村ともなれば、それほど大きな家ではない。田舎だから土地はたくさんあるのだが、しゃちほこばって迎える客などそうそういない。だから他の家よりも多少広いという程度で、あえて言うならば村長の家にだけ上品な敲き金があることくらいか。その村唯一の敲き金でノックをすると一人の女性が出てきた。 「あらあら。いらっしゃい、イリナちゃん。さっそくで申し訳ないのだけど、チムタの葉を持ってないかしら。リリナさんの子どもが熱を出してねぇ」 出てきた初老の女性は、村長の奥さんのサリアだった。 「ヤクタ、届けた」 イリナは客間に通され、細やかな模様が彫られた木の椅子に座った。それぞれ模様が異なっていて、イリナが座ったイスはたくさんの鳥が飛んでいる様子が描かれていた。 「チムタをリリナさんのところに届けてくれたんだね。ありがとう」 別に大したことはない、というようにイリナは首を振り、花茶を飲む。 「薬草、持ってきた」 テーブルが汚れるのを気にしてか、カバンから出した油紙を床に広げた。ホムラが出てこようとカバンの中でもがいていたが、イリナが押さえるとおとなしくなった。 「これ、痛み止めの薬。粉にする。粉、このスプーンの半分くらい。飲む。あとは、いつもの薬草」 乾燥した丸い葉とお茶についていたスプーンを手にして村長に説明する。 「おお、助かるよ。どうしても雨季になると年よりの足腰や古傷が痛むからなぁ。みんな喜ぶ。これはお湯で飲んだ方がいいのかのぅ?」 少し曲がった腰をさすりながら村長は顔をしかめた。 「お湯、良い。水も良い。でも、ミルク、お茶、だめ」 村長の隣に座っていたサリアが心配そうに聞いてきた。 「山、危険。きっと、土、水いっぱい流れる。危ない」 イリナはわからない、という様に首をかしげた。 「雨で地面が崩れて、土がたくさん山の上から落ちてくることじゃ」 村長が手振りも添えて説明する。 「たぶんそう。とても、危険」 そう言うとサリアは立ち上がって部屋を出て行った。 イリナが荷物を受け取って村長宅を出るとき、今にも雨が降りそうなほど厚い雲で覆われていた。まだ日中だというのにひどく薄暗い。雨に降られる前に帰ろうと早足で山に入り、いつもの道ではなく近道を選ぶ。 険しい道を難なく進んでいたイリナは、草木の匂いの隙間に違和感を感じて足を止めた。木々に囲まれ厚い雲に空が覆われている森は、まるで夜のように暗い。原因を探るように慎重に周囲を見回すが、風がふいてそれは霧散した。 霧散した物を探すために全ての神経を尖らせた。さわさわと木々が風に揺られる音が頭の中で木だまする。暗い森の奥を見つめていた目がだんだん焦点を失う。 ホムラがカバンの中から顔を出して、不安そうに一声鳴いた時、イリナは突然走り出した。 |
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