かみの おこ を かくさぬように てらせや てらせ
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イリナは木々が鬱蒼としげる山の奥深くにある小さな家に住んでいた。
山のふもとには小さいながらも村があるのだが、気のいい人間が多いその村に住まずに一人山奥にいるのは、この小さな少女が流れ者だったからだ。
イリナは出かける支度をしている足元では、赤子のこぶしくらいの大きさの白いラァドのホムラがパン屑を食べていた。
「ホムラ」
呼ばれるとホムラは小さな赤い目をイリナにむけ、食べていたパン屑を放り出してイリナの足に飛びつく。
ホムラをすくい上げて厚手のローブの中に入れ、ナイフなどの必要なものを包んだ大きな一枚の布の端をしぼると、背中に斜めにかけた。靴紐がしっかりと結ばれているのを確認してからフードをかぶると、外へ出て小ぬか雨が降る薄暗い森へと入っていった。
身軽に山の中を走っているとキーキーという鳴き声が聞こえ、その声をたどって探してみると、倒木に足が下敷きになっているスラの子どもを見つけた。イリナが近づくと、怯えた様子で更に鳴き声が大きくなる。
母親がどこかにいないかとイリナが周囲を見回すと、近くの岩陰に他のスラの子どもが数匹、身を寄せ合って隠れていた。どうやら下敷きになった子の兄弟らしい。母親はそばにいなかったが、少し離れた草陰から様子を探っているのかもしれない。
警戒心の強いスラは人間がいるなら近寄らないし、人の臭いがついた子どもは放棄されることがよくある。
イリナがその子どもに触れないように倒木をどかして助けると、下敷きになった足をかばいながら一目散に逃げて隠れた。
その様子を見て思ったよりも元気そうだと安心したイリナはその場を静かに去った。
イリナは足場の悪い坂道を登り、何度も訪れている洞窟へと向かっていた。
雨季のせいでその洞窟の中はひどくしけっていて、地面が滑りやすかった。それでもイリナは洞窟へと入り慣れた様に急な斜面を滑り降りるようにして奥へ進む。洞窟はとても深くて暗かった。
油紙に包んだ松明を取り出し、火打ち石を使って火をつけると、つるつるとした岩肌が炎に照らされた。天井は高くて圧迫感はなかったが、それでも暗い不安がひたひたと迫ってくるようで、ローブの中の衣嚢から顔を出していたホムラが、落ち着かないようにもぞもぞと動いた。
つるつるとした岩質と湿気のせいで滑りやすいにもかかわらず、イリナは躊躇せずに洞窟の奥へと進み、左右の分かれ道を左に行ったところで、立ち止まった。松明を片手にその左右の壁や地面を丹念に砂や小石をはらって調べながら慎重に進む。
どれだけ時間が経過したのか、焦れたようにホムラが一声鳴くのを聞いて、イリナはやっと顔を上げた。その黒い瞳はどこか必死の色を見せていた。
松明の長さを見て諦めたようにイリナはもと来た道を戻り、入り口に立ったところで振り返る。その様子を見ていたホムラが慰めるように鳴いた一声は、雨の降る音にかき消された。
途中で雨足がひどくなったおかげで、小屋に戻った時にはイリナの黒く短い髪からぽたぽたと水滴がたれていた。
濡れてしまったせいで、濃い青からまるで黒い色のようになったローブを着替えてから、食事の用意をする。
パンと干し肉をかじり、ホムラにもパン屑を与えて昼食を終えると、大きい肩かけのカバンを取り出し、貯蔵庫に束ねて吊るしてあった薬草をいくつか取り分け、油紙に包んでカバンに入れる。一緒について行きたがるホムラを、今度は服の中ではなくカバンの中に入れる。するとホムラは嫌がるように鳴いたが、軽くポンポンとカバンを叩くと諦めたように鳴き止んだ。
雨は止んでいたが、山全体が不安に包まれているかのようだった。