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黄昏色の樹の下で

一章 十九話

「……驚いたな」

 ウィドは自分の馬と併走しているイリナを見て驚きの声を上げた。

 あの後ひとしきり笑ってから、イリナに隣村に一緒に着いてきて欲しいと頼んだ。実際に隣村の惨劇に気づいた時の状況を、実際に辿ってみたいと思っていたからだ。
 なぜウィドが笑うのかわからないという顔をしていたイリナは、ウィドの頼みに相変わらずの無表情で頷いた。
 ここまで清々しくそっけないと返って気持ちいい。周囲の騎士は失礼だという声を上げたが、ウィドは気にしなかった。 同じように頓着しないマルテも、中隊長が気にしないのなら、と特に咎めるようなこともしなかった。
 ウィドは馬を準備するようにイリナに言うと、イリナは必要ないと首を横にふった。

「私、馬、乗る、できない」
「じゃあ、私の馬に乗せよう。イリナ殿は軽そうだから二人乗っても大丈夫だろうから」
「はしる。私、はやい」

 さすがにその言葉に戸惑ったが、イリナがきっぱりと言うものだから、ウィドはとりあえず頷いた。いざと言うときは無理矢理にでも自分の馬に乗せればいいと考えながら、イリナを含めて六人で村を出発した。
 しかし、実際出発してみるとイリナは息を切らすことなく馬と併走していた。平地を全速力で走っているというわけではが、上り坂を走っているのにもかかわらず、イリナの速さは落ちない。むしろ、足場の悪い場所ではイリナが馬の速度に合わせているかのようにも思えた。ウィドは馬上からイリナの背中を見ながら、この小柄な身体のどこに体力と脚力があるのかと考えていた。

 まず 一行は煙が上がっているのを見た場所に行くことにした。
 山に入ってしばらくすると、岩がごろごろと落ちていて段差が激しい道に出た。そこから先は馬で進むには難しそうだったため、その場に馬を置き、騎士二人に番を任せて徒歩で進む。

 イリナが岩の上に身軽に飛び乗り、上に木がある、と指さした方向を見上げると、確かに崖上に大きい木の影が見えた。道は登るにつれてますます険しくなり、大柄で重装備のウィド達は道の途中に転がっている岩と岩の隙間を通るだけでも苦労していた。崖上に着いたときには、騎士達は疲れ果てた顔をしていた。

「ここから隣村、見える」

 上から声がして見上げると、いつの間に登ったのか、イリナは高い枝の上に立っていた。葉が少ないのが幸いしてイリナの姿がしっかり見えた。枝は崖から飛び出していて、折れたり足を踏み外せば崖下にまっさかさまに落ちてしまう位置にあり、ウィドは思わず崖下を覗いて、あまりの高さに身震いがした。

「イリナ殿、そこには簡単に登れるだろうか」
「難しくない。でも、落ちる、死ぬ」

 物騒なことを無表情で言ってくれた。

「私は登らないが、誰か挑戦したい奴はいるか?」

 そうウィドは他の騎士に聞いてみたが、皆首を横に振るばかりだった。

「イリナ殿、どこから煙が上がっていた?」

 イリナは無言で指をさしたが、残念ながらウィド達からは高さが足りないらしく隣の山の陰に隠れてその先が見えない。

「地図上では、イリナ殿の指差した方向に村がありますね。襲われた村です」

 マルテが羅針と地図を出して方角を確かめていた。

「もう降りてきていいぞ。ありがとう」

 そうすると、まるで獣のようにするすると一番下の枝まで降りてきて、そこで飛び降りた。

「本当に健脚だなぁ」
「ケンキャクダ?」

 知らない単語だったらしい。

「けんきゃく。足が強いとか速い……ということだが、わかるか?」
「けんきゃく……足強い。うん。私、足はやい」

 納得したようだった。それにしても、なんと真っ直ぐと目を見て話すんだろうと、ウィドは少々落ち着かなかった。
 ウィドの身近な妙齢の女性は意味ありげな視線を送ってくるのが常だし、侍女は一歩間違えれば不躾と取られるため、イリナのように真っ直ぐに見つめることはしない。まったくの子どもだと思えばいいのだが、このくらいの年齢ならウィドの周囲では立派な女性として扱われる。どうしてもそわそわとしてしまう。
 マルテがイリナに質問し始めたので、視線はそらされ、ほっと安心の吐息をつく。どうやら、マルテもイリナの真っ直ぐの視線には居心地悪そうにしている。

「煙は何色だったかわかるかい?」
「黒」
「どれくらいだった?」
「いっぱい」
「火が上がっているのは見えたかい?」

 しばらく思い出そうという素振りを見せていた。

「小さい、火、少しだけ」
「ここから、どれくらい村の様子が見えた?」
「火、煙、黒いの見えた。黒いの、たぶん、燃えた家などなど」
「さすがに、人はここからでは見えないか……」
「むり」

 マルテの聴取はここまでのようだった。

「では、その村に行ってみよう。イリナ殿、ここから隣村までの道を教えてくれ」
「うん」
「さて、出発するぞ」

 これからあの道を戻るのかと、ひどく疲れた顔をしながらも騎士達は立ち上がる。

「では、イリナ殿、行こうか」
「うん。こっち」

 そう言うと、イリナは、崖を飛び降りた。

「イリナ殿!?」

 何を早まったのかっ!と、崖の淵に駆け寄り下を見下ろすと、崖は少しだが傾いており、イリナはその斜面をかかとで落下速度を殺しつつ、むき出た大きい岩や枝に飛び移り、器用に下まで降りていた。

「こっち」

 地に降り立ったイリナは、崖上を見上げて一言いった。

「イ、イリナ殿、私たちはそのような降り方は無理そうだから、来た道を戻る。そこで待っていてくれ!」
「わかった」

 頷いて、その場の石の上に座ったのを確認してから、イリナの元へと向かうべく、先ほどの道に戻って下まで降りた。 イリナのいる場所までたどり着くと、イリナは何やら赤い木の実をいくつか持ってい待っていた。

「食べる。美味しい」

 一つずつ手渡されたその実は、小さいながらもずっしりとしてる。イリナが食べるのをまねて、服でその実を擦ってから かじってみた。

「おいしい……」

 誰かが思わずと言った様子でつぶやいた。程よい甘さと酸味が疲れを癒してくれるようだった。

「疲れたときにいい」
「確かに。かたじけない」

 手早く食べ終えて、馬を置いた場所に待っているところまで戻ってみると、ひどく疲れている様子のウィド達に、残った騎士が驚いていた。

 襲われた村は打ち捨てられていた。全てを破壊され燃やされた村には再建する者もおらず、村人を葬った墓に供えられた花も枯れていた。
 村を囲む柵が焼け残っていたが、それは恐らく森の動物の侵入を防ぐための物だろう。木を縄で固定しただけの粗末な柵は、ウィドが手で押してみると、ぐらぐらと揺れて傾いた。人間が集団で襲ってくるなどというのは恐らく想定していない。

「ここ、か」
「そう」

 何か新しい証拠が見つかるかはわからないが、とりあえず広場だけは見ておこうと、案内を頼んだ。雨が消したのか、忌まわしい虐殺の爪あとはなかった。しかし、同行していたアレンは当時の惨状を思い出したのか少し顔が青い。

 馬から降りて、ウィドは村を見渡す。民家が焼け落ちているために視界が広く、その感覚にどこか落ちつかない。頭の中でつい最近まであっただろう家を組み立ててみて、賊がどのように村へと侵入し残虐の限りを尽くしたのか考えてみる。

「ここに全員集まっていたのか?」
「はい」

 答えたのはアレンだった。

「村の外も探してみましたが、誰もいませんでした。もっとも、もっと遠くまで逃げおおせた人がいるかもしれませんが……」

 その可能性は低い。今まで襲われた村の人間がどこかに逃れたという報告を一切聞いていない。恐らく全員が殺されたのだ。

「イリナ殿、犯人の足跡らしき物はどこへ向かったか、案内してもらえないか」
「こっち」

 イリナの先導で来た道を戻ると、来た時には気がつかなかったが、途中で二つに道が分かれていた。そこを左に進むと、出たのは川だった。

「ここまで。向こう、足跡ない」

 簡素な橋の向こう側を指差してイリナは言った。

「川を上るか下るかして、足跡を残さないようにしたのか」

 川は浅瀬で、馬でも難なく進めそうだった。マルテは実際に川に入って川上へと少し進んだりもしていた。

「ここで、戻った。生きる人、探すため」

 妥当な選択だろう。

「戻ろう」

 村を一通り見回ってみたが、予想通りあまり収穫がないまま去ることとなった。
 戻る途中でイリナとは分かれた。こんな山奥に一人で大丈夫なのかと聞いたが、相変わらずの無表情で「大丈夫」と 答えるだけだった。

 村に着いたときには陽は傾き、もうすぐで地面に隠れようという時分だった。
 残った騎士達が村から少し離れた山のふもとで野営の準備を整え終えてウィド達を待っていた。他の村の被害状況を調べるために散っていたほかの者もほとんど村に到着していた。
 村からたらいに湯を入れて持ってきてもらい、布で身体を拭く。いっきに疲れが泥や埃と一緒に落ちた気がした。

「生き返るなー。さすがに疲れた」
「ですね。それにしても、イリナ殿は山に慣れているせいか、非常に身軽でしたね。驚きました」

 疲れたという割には元気な声を出して身体を拭いているアレンを見て、自分は年かな……と、ウィドは切ない気持ちになった。

「あれは……慣れていれば、馬よりも速く走れるのか?」

 あれはそういう域を超えているような気がした。

「世の中にはすごい人がいるもんですねぇ」

 温かい布で顔をぬぐったアレンは、それはそれは幸せそうに言った。

「……世の中みんな、お前みたいだったら良かったのになぁ」

 ウィドの言葉に、アレンはよくわからない、という顔をしていた。

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