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黄昏色の樹の下で

一章 十四話

 ウィスタは、以前に柵を乗り越えてまで書類を取ってくれた貴族を探していた。と言っても、内緒にしておくと約束した手前、あまり人に聞きまわって探すこともできずに、ただ周囲の人間の顔をよく見るようにするという探し方だったので、まったく見つかる気配はなかった。

 そんな風に王宮の敷地内をふらふらしていると、国王に捕まった。いや、国王陛下にお茶をお誘いいただいた、と言っておく方が何かと問題ないだろう。

「君は局長の中でも一番若いから、何かと苦労していないか心配でね」

 ダルシャの美しい顔が憂えたものとなり、長くて濃いまつ毛に縁取られた目を伏せた。その様子は、それはそれは美しくも儚げで――そして胡散臭かった。

「そんなことはありません。陛下のご温情に心温まり、他の優秀な皆様の叱咤ご鞭撻をいただきたくさん学ばせていただいております」

 ウィスタは虚ろな微笑を貼り付けて答えた。正直なところ、いつ宰相が着て雷を落としてくるかと気が気ではない。

「あぁっ。私も若輩の身で王の座に着いたものの不安ばかり! お父上のように立派な治世者になるにはいったいいつになるのやら」
「今も充分に優秀な治世者だと思います」

 やっぱり虚ろにウィスタは答えた。

「ところで」
「はい」
「例えば、森羅記を買うとしたらいくら位するだろうか」
「森羅記ですか?私が買うとしたら……そうですね、80000ガーナほどでしょうか」

 ダルシャはクスリと笑いながら首をかしげて、ウィスタを見る。

「書物収集に君ほど長けている者ではなく、ごく普通の貴族が手に入れるとしたら、という話だよ」
「優秀な仲介屋がいるかによりますが、90000から120000ガーナが妥当かと思われます」
「それでは、戦術概論」
「120000から170000ほど」
「トスカータ戦記」
「80000から90000」

 それからいくつもの本の値段を聞かれたが、ほとんど文書館にあるものばかりだった。貴族はもちろん、国王という身分ならばなんの咎めもなくそれらの本を読むことができるのだから、ダルシャがわざわざ値段を聞くのが不思議だった。

「全てを集めるとなると、なかなかの金額になるね」

 ダルシャは、国王と言う地位に似合わず金銭感覚があった。

「そうですね。愛好者向けの本ばかりでしたし。東方兵法などは今はもう発禁となっていますからね」
「ほう発禁。なんでまた発禁になったのだ?」
「その本を書いた人物が、謀反を起こしたからです。その本の内容を実践するかのように。まぁ、それは失敗に終わったのですが、相当の打撃を当時の施政者に与えたとか。国家転覆の教本のごとき本をそのままにしておくことを嫌い、その国では発禁、禁書処分となったそうです」
「では、残っているのはわずかなのかな」
「そうですね。その代わり、写本が出回っていますが」
「なるほど」
「我が文書館にもありますよ」
「国家転覆の教本が?」

 面白そうにダルシャは笑う。

「ええ。手に入れるのに非常に苦労しました」
「ウィスタは要注意人物としなくては。反逆の疑いありだな」
「例えば反逆が起きたとして、成功しても失敗しても思想の弾圧が行われる可能性があります。真っ先に狙われるのは本です」

 東方兵法のように。
 「ウィスタは本が燃えるようなことは決してしないな」と、ダルシャは優雅に笑う。

「ウィスタを文書館の局長にしてよかったよ」

 不意打ちのように言われて、ウィスタは面映かった。

「陛下」

 背後からその冷たい声がした途端に、ウィスタは目の前の国王が笑顔を凍らせたのを見た。

「おお、この国の誉れ高き宰相、イアン!どうしたのかい。一緒にお茶でも飲まないかい」

 その凍らせた笑顔のまま、イアンに紅茶をすすめた。

「結構です。陛下」
「この茶菓子もとても美味しい。また作ってもらうように給仕長に頼んでおこう!」
「よろしいかと思います。陛下」
「ここの花も非常に美しい。とてもよく手入れされている。ここを通ったら否が応でもお茶を飲みたくはならないかい」
「思いません。陛下」

 ウィスタは国王と宰相に挟まれて、口を出すことも逃げることもできずにガタガタ震えながらお茶を飲んでいた。

「謁見が終わった後は、王妃様から昼食に招待されていると申したはずですが」
「まだ時間があるだろう?」
「何の手土産も用意せず?服も着替えず?」
「手土産はお前が、服は侍女頭が準備しているだろう?」
「ええ。陛下が一切何も考えないのに業を煮やして、勝手ながら私と侍女頭で用意させていただきました」 「だったらまだ時間があるではないか」
「ご用意させていただいた手土産は、北から取り寄せたサンジェでございます。紫色の花です」
「サンジェくらいは知っているよ」
「では、その花言葉は」
「……」
「サンジェを国花としている国は」
「…………」

 どうやら、圧倒的にダルシャが不利のようだ。

「昼食までにそれらを頭に入れてもらいます。行きましょう。陛下」
「私はウィスタと有意義な語らいを……」

 本の値段が有意義な語らいの範疇に入るのかは甚だ疑問だ。

「行きますよ。陛下」
「……わかった。では、失礼するよウィスタ」
「ウィスタ、陛下とのお話の途中ですまないね」
「いいえ。楽しいお時間をありがとうございました」

 宰相が、名残惜しそうにしている国王を容赦なく引きずっていくのを見送った後、ウィスタは侍女に後片付けを頼み、文書館へと戻っていった。

 結局今日も、探し人は見つからなかった。

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