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黄昏色の樹の下で

一章 十三話

 村は表面上は何にもない様に日々の生活を送っていた。しかし、そこかしこに人々の不安が垣間見える。

 前は、夜に狩猟用の罠をしかけるために森に出かける酔狂な人もいたが、今は一切おらず、陽が落ちるとすぐに固くドアを閉ざしてしまう。
 もしかして、山に隣村を襲った盗賊達が潜んでいるかもしれないと、山に入る人が減った。イリナに、山の中に不審な人影を見なかったかと問う人も増えた。そして、もしかして何か隠しているのではないか、何かを知っているのではないか、と疑いの目でイリナを見る人もいた。

 今回の事件は村人の心のほんの片隅にあった、あくまでもイリナは村の人間ではないという気持ちを改めて浮き彫りにさせた。
 幸いなことに村長が全く変わらぬ態度で接するために、疑いの目で見る者も表立って何かを言うこともない。
 そもそも村の人間が山に入りたがらない以上、山で取れる貴重な山菜や果物、薬草などの収集はイリナがほとんど一手に引き受けることになり、前よりも村を訪れる回数は増えた。

「子ども達にも簡単に事情を説明したが……大人たちがピリピリしているから、必要以上に子ども達も怯えておる」
「でも、それくらいが丁度いいかと思いますよ。中途半端に脅かすだけでは返って子ども達の気を引いてしまって、あえて危ないことをしでかしちゃいますもの」

 リリィはしたり気にお茶を飲みながら言い、確かにと、その隣にいた村長が頷く。

 イリナが頼まれた山菜を採ってきて村長の家を訪れてみると、リリィがいた。
 リリィはイリナと一番したしい娘だった。それは恐らく、村にいる同じ年頃の娘が少ないのと、そのどこか大胆で大雑把な性格が二人に共通しているからかもしれない。イリナは主にリリィから言葉を教わっていたし、リリィは薬草の知識をイリナから教わっていた。

「うん。それ大事。子ども時々無茶する」
「大人だってするけどね」
「たしかに」
「ねー、イリナ。あんな山小屋に一人じゃ危ないわ。土砂崩れの可能性もあるし、もしかしたら盗賊も隠れているかもしれないし。だから、せめても盗賊が捕まるまでうちに泊まっていきなさいよ。遠慮はいらないわ」

 ね、と赤毛の髪をさらりとゆらして、リリィはイリナを説得する。ひそかに、この魅惑的な赤い瞳と髪に惹きつけられている村の若い男達は多い。

 こっそりとイリナは村長を見た。
 村長はあまり表情を変えてはいないが、お茶を飲んでその話題が聞こえてなかったふりをしているようだった。
 いくら気さくな村の親切な村長と言えども、この不安に包まれる中で村に異分子を入れるのは避けたいと思っていた。
 今はまだ、隣村だけの事件ではあるが、もし他の村でさらにあのような残虐な行為が行われたとなると、さらに混乱は大きくなるかもしれない。今は押さえられているものがいっきに破裂したときに、イリナはその標的となる可能性が高い。どうやってもその村人の日常と食い違うところが不安や、焦りを増長させてしまうからだ。

 例えばイリナが可愛がっているラァドの子どものホムラだ。少し前に流行病が村を襲い、その原因がラァドだと噂された。結局その是非は判明せずにその流行病はなんとか収束したが、今でもラァドを嫌悪している村人は多い。
 それを素早く察したイリナはあまりホムラを村に連れては来ないし、連れてきたとしてもカバンに隠している。
 ましてや、イリナはどこか不思議というか変わったところがある。うまく言葉が通じないせいもあるだろうが、とにかく今は近くにいるのはあまりよろしくない。
 村のためにも、イリナのためにも。

 村長に向けたイリナの目線はそれを察しているかのようだった。

「リリィ、心配必要ない。私自分の家、戻る。それに、ホムラ村に住む、皆気持ちよくない、でしょ?」
「そうだけど……」

 流行り病が村を襲ったとき、リリィはまだほんの子どもの頃だったために、ラァドに対する悪感情はそれほどない。むしろ、甘えん坊の小さなラァドを可愛いとすら思っているのだが、さすがに村人がラァドに対して良い感情を持っていないことくらいはリリィも察している。

「あんまり無理を言ってはいけないよ。今はとても難しい時期なんじゃ」
「はい……」

 リリィは目に見えてしょんぼりとした。

「リリィ。ありがとう。家来る、言ってもらう、嬉しい。大好き、リリィ」
「うん。私も大好きよ。イリナ。もし……もしだけど、本当に危なくなったら一時的な避難としてうちに来てね?絶対よ?」
「うん。わかった」

 それから明るい話題に転じ、リリィは村の子ども達の間で流行っている遊び言葉や歌を、イリナに教え込んで、満足して帰って行った。

 リリィを見送った村長は、冷めたお茶が入ったカップを手の中でいじりながらイリナには目を向けずに「イリナ」と名を呼んだ。

「なに」
「すまないね。お前には世話になってばかりなのに、助けることもできないなんて」
「大丈夫。しかたないこと。皆不安」

 その声はとてもしっかりしていて、思わずイリナの顔を見た。それはとても静かで落ち着いた表情だった。

「ふ……。たまにおぬしが、小さい娘だと忘れてしまいそうになるよ。背はこんなに小さいのになぁ」
「ちいさい、しかたないこと」

 少し膨れたように言い返す。かかかと、村長はおかしそうに笑った。

 その後イリナが求める品と山菜を交換して、村長はイリナを見送った。 イリナの背中を見ながら村長の心の中に、ちらりと暗い影が一筋だけできた。

「この空模様と、盗賊騒ぎのせいかのぉ。嫌だ嫌だ」

 あの不安の一切無いような目を見て、一瞬疑心が生まれたなどとは認めたくは無かった。

 空を見上げると、また、雨が降りそうだった。

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