BackNovelTopHPTopNext

黄昏色の樹の下で

一章 十一話

 ウィスタが意気消沈しながらも、書類を無事に処理して自分の執務室に戻ると腰を抜かしそうになった。我らが国王陛下がおわしたのだ。お茶を片手に室内の本を興味深げに見ていた。

「陛下、知らなかったとは言え、お待たせしてしまい申し訳ありません」
「いや。構わないよ。こちらこそ事前に知らせずにきてしまってすまないね」

 ホド国の若き王のダルシャは、類まれなる美貌を持っていた。金の髪と濃いまつ毛に縁取られた緑の目は非常に蠱惑的で、反面少し薄い唇が酷薄的で、その差がどこか危険な香りをかもし出していた。

「ところで、誰もお側についていないようですが、うちの者が何か失礼をいたしましたでしょうか?」
「いや。一人になりたいから退室して自分の仕事に戻るように、私がお願いしたのだよ」

 だからといって本当に一人にするとは。室内はおろか、ドアの外にも誰も控えてはいないのはいかがなものか。
 俗世よりも活字の世界に囚われた文書館の人間達は、国王の言葉を真正面から受け取っていた。

「はぁ、でしたら私も退室したほうが……?」
「いや、君にはお願いがあるから退室されたら困るかな」

 くすくすと笑って、ダルシャはウィスタを引き止めた。
 確かに、用も無いのにわざわざ文書館まで来て、ウィスタの執務室でお茶なんぞ飲むわけはないだろう。ウィスタも結局は文書館の人間なわけだった。

「いったい、どのようなご用件でしょう」
「保管庫の案内を頼もうかと思ってね」
「お申し付けくだされば、私どもが必要な書類は集めてまいりますが」
「いやいや。今は皆忙しい時期だろう?いつもと違って特に今年は……ね。だからわざわざ複数の人間の手を借りるのは忍びない。ウィスタが案内してくれるならば、私が保管庫まで向かおう」
「宰相はご存知でしょうか」

 ダルシャはにっこりと笑う。
 どうせ王は仕事をほったらかして逃げてきたに違いない。

「……後で怒られても知りませんからね」
「いや。あれはイアンの愛を試しているのだよ。繊細な心の持ち主の私は、イアンが私を一心不乱に探す姿を見て、彼の愛を確認 しては安心しているのだよ。ほら、私は不器用じゃないか。こういう方法でしか彼の愛を確認できないのだよ。あぁっ、私はなんて 哀しい人間なんだろう」
「はぁ、そうですか……。愛を、試す」

 繊細な心の持ち主は、怒り狂って自身を探すあの宰相の冷たい眼差しに耐えられない。
 とりあえず言いたいことはたくさんあったが、それを言って益にはならないだろうと判断してウィスタは黙った。それを見て、満足そうにダルシャは頷いた。

「わかりました。では、保管庫に向かいましょう」
「頼むよ」
「あと、宰相が来たら、国王は保管庫にいると伝えるよう部下には言っておきますので」
「おや。君は私の味方だと思ったのだけどなぁ」
「愛を試すのもご自由ですが、やはり程々にしなければ愛する人も不安に思ってしまうでしょう」

 王は爆笑しながら「それは確かにな」と答えた。どうやら許しが出たようだ。
 宰相に自ら国王の居場所をちくれば宰相は喜ぶだろうが、国王に後でいじめられそうだ。だからと言って宰相になんの情報も残しておかなければ、後で宰相の冷たい眼差しがウィスタを苛むだろう。とりあえず、部下に伝言を残すのが一番無難に思われた。
 とにかくどちらにも睨まれたくはない。

「では、行こうか」

 ひとしきり笑った後に、ダルシャはウィスタを促した。

「はい」

部下の一人に、宰相が来たら国王は保管庫にいる旨を伝えるよう言い残すと、保管庫に向かった。

「何の書類をご所望でしょうか」

 保管庫の鍵を開けながらウィスタは聞いた。

「そうだなー。何にしようかな」

 まさか暇つぶしなどでここまで来たのではあるまいかと、疑念が胸をよぎる。

「まず、ドワル家の領地の情報などが記された物がみたい。あと納税の記録等も」
「……わかりました。こちらでございます」

 ドワル家とはレイトの家名だ。レイトの名はレイト・イア・ドワルという。
 どうやら件の盗賊関連のことを調べるつもりのようだ。

「保管庫というのはこうなっているのだな」

 初めて保管庫に入った国王は珍しげに周囲を見回す。
 確かに書籍が収められている館内とは段違いのそっけなさだろう。あそこは部外者も使うことを考慮しての造りになっているが、保管庫はそうではない。

「こちらにドワル家の全ての資料がまとめられています。納税記録はこちらに、領地権利書はこちら、それぞれの村の人口となると、また別の場所になります」
「別に村の人口は構わないかな。とりあえず、ドワル家に関してはここだけで事足りそうだ」

 ドワル家は古くからある家柄らしく、その資料は膨大だった。手伝うべきかと悩んだが、ダルシャが言ってこないのなら必要ないのだろうと判断し、少し離れて控えていることにした。

 次にダルシャは地図を、更には過去の気象記録、橋の建設記録を求めた。橋の建設記録など調べてどうするのかと思ったが、素直に案内した。

 高かった陽がかげってきて、そろそろ灯りが必要かと考え始めたときに、外が騒がしくなった。何事かと思うと、外から叫び声がした。

「国王陛下がこちらにいらっしゃると聞いてまいりました!どうぞお開けください!」

 保管庫に入る鍵は開いてはいるが、規則として国王か文書館局長の許可が無ければ入ることは許されない。だから宰相は外でキリキリと叫んでいるのだ。

「陛下、どうやらイアン様がお迎えにこられたようです」
「ん?そうか」

 ひどく集中していたせいか、少し惚けたような顔をしている。これはとても珍しい。

「早くいかないと……」

 ドアが乱暴に叩かれる音がした。イアンの我慢もそろそろ限界のようだ。その内蹴り始めるかもしれない。

「あぁ、イアンにひどく怒られてしまうかもしれないな。私は彼の顔を見るのがとても怖いよ」

 これは言外に、先にイアンの元へ行ってとりなして来いということだろうか。

「それもきっと彼の愛です」

 とばっちりはごめんだ。
 ウィスタがさらりと流すと、ダルシャは苦々しく顔をゆがめた。

「しかたがない。行くとするか。その前にこの地図を借りたいのだが」
「それでしたら、持ち出し証にサインをお願いしてよろしいですか?」
「かまわない」
「では、イアン様の元に参りましょう。持ち出し証は私の執務室にありますので、帰る際に一度お寄りください」
「わかった。……では、いくとしようか」

 憂鬱そうな顔をして、二人は未だに叩かれているドアに向かった。 。

 BackNovelTopHPTopNext