BackNovelTopHPTopNext

黄昏色の樹の下で

一章 十話

 バラナに用があったために、執務室へと向かう途中で、そのバラナにあった。声をかけようとして、誰か別の人と話していたから躊躇していると、バラナの方から気づいて声をかけてきた。

「随分お疲れのようですけど……大丈夫ですか?」

 ウィスタのぼろぼろの姿を見て、心配そうに声をかけてきた。

「はい。さほど問題はありません」
「あまり無理をしないほうがいいです。とうとう、財務局でも過労で倒れた者が出てしまいました」

 そう言うバラナの顔はウィスタ以上に疲労の色がこかった。

「さすがに、財務局や政務局ほど忙しくはありませんから大丈夫です」
「――バラナ、こちらの方は?」

 バラナと話していた銀髪のきらびやかな男が、バラナとウィスタの話に割って入ってきた。

「あぁ。すまない。ウィスタ殿、こちらは私の友人のドーラ侯爵です。絵画狂いだが、その知識は右に出るものがいません。ドーラ、こちらは文書館局長のウィスタ男爵だ。年若いながらも、とても優秀な人だ」

 誰に対しても礼儀正しいバラナの、ドーラに対する物言いから、よほど仲が良いのだと伺える。

「はじめまして。ウィスタ男爵。ドーラと申します」

 絵画狂いとはひどいな、と笑いながらドーラはウィスタに自己紹介をした。

「はじめまして、ドーラ侯爵。ウィスタと申します」

 ウィスタは、未だにこの紹介のされ方に慣れる事ができない。このドーラ侯爵は、ウィスタでも知っている大貴族の家の出で、自身も侯爵の爵位を持ち、さらには華やかな容姿や言動によって、王宮内でも有名な人物だった。
 対してウィスタと言えば、さしたる格式も歴史もない家の分家筋の出で、しかも持っている爵位は一番低い男爵。
 爵位だけで見るなら、まずウィスタから挨拶をせねばならないのだが、局長という立場を加味すると話は違ってくる。局長というのは、ホド国において宰相と将軍に次ぐ位であり、ウィスタとドーラの場合だとウィスタの方が上とされる。
 だからバラナは、先にウィスタにドーラのことを紹介することによって、侯爵であるドーラよりも地位が上であることを示さなくてはならない。ウィスタはこのように扱われることに未だに慣れないのだ。

「そ、そういえば、こちらの書類に関してですが……」

 ウィスタは、バラナに用件を伝えることによって、自身の戸惑いをごまかそうとした。

「あ!また紛れ込んでいましたか……。申し訳ありません」
「いえ。今は大変な時期です。そういうことも仕方ありませんよ」
「ありがとうございます。なんとか、落ち着いてきたので、来期は今期のようにお手数をかけることはないかと思います」
「――そのような仕事は、部下にやらせればいいのでは?」

 ドーラが眉をしかめて言った。

「いえ……今たまたま手があいていたので……」

 本当は嘘だった。部下達が行きたがらないのだ。今、どこの局もピリピリとしていて、その中に入るのをためらう者が多い。しかし、局長であるウィスタが行けばぞんざいな扱いもされないし、難なく事が進む。そういうのを見越して、部下はウィスタにその処理を遠まわしに押し付けるのだ。
 部下がその隙にさぼろうという意図があるわけではないから、それは幸いなのかもしれないが。

「だからといって、あなたがそういう仕事をしては、下に示しがつかないのではないでしょうか」

 確かに、立場的にウィスタがするような仕事ではない。仕事の内容に上下は無いと思っているウィスタだったが、それでもやはり選別をしなければならないことは、ウィスタも重々承知していた。そうしないと、部下の方が仕事をえり好みしてしまうからだ。

「はい……。それはもっともなご意見です」
「私も休憩ついでに、書類を他局に届けることもあります。確かに、部下の仕事を、全て引き受けるのはよくないですが、今はこういう時期です。柔軟に対処する方が良いかと思います。それに何よりウィスタ殿は、局長に就く前から文書館にいたのです。こういうお仕事も大事だとわかっているから、引き受けているのですよ」

 バラナが、少しウィスタに釘を刺しつつも、優しくフォローをする。

「君が行うことと、ウィスタ男爵が行うこととは少々違うだろう」

 それは暗にウィスタの場合は、部下を使っているのではなく、部下に使われているんだと言っているように思われた。
 どこか尖ったドーラの物言いに、ウィスタは庭で助けてくれた男と話したときに得た温かみが全て消し去られていくようだった。

 ドーラは、身分が低くて年も若いウィスタが局長と言う座にいるのが、気に入らないのかもしれない。
 そういう人物はたくさんいる。文書館管理局と言うのは、花形ではないし、何かうまみがあるわけでもない。むしろ本を相手にする地味な仕事だから、それほど人気は高くないが、それでも局長と言う立場にあこがれる諸侯達は多い。
 だから、自然と局長となる人間は爵位の高い者が多かった。今回は国王の意向があったからこそ、ウィスタが局長になれたのであって、爵位と釣り合わないこの人事が珍しい事であるのは確かだった。 そのため、あからさまではないけれども、言葉の端々にそのことを揶揄したりする人がいるのだ。

 ドーラはバラナの手前か、それ以上は何も言わずに黙っていた。
 身分に年齢に……そして容姿。それらに恵まれたら、このドーラのような自信に満ち溢れた性格でいられるのだろうかと、ウィスタはドーラを見ながら思っていた。

 BackNovelTopHPTopNext