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それはきっと、幸せの音

一話完結

 暗い無人のキッチンに一つの人影が静かに入ってきた。

がさがさ
カチャ……
パタン……
がさ

 同じく静かに人影がキッチンを去り、気配が遠のくと、途端に静かだったはずのその部屋が騒がしくなる。

「……お冷さん、ご主人はこんな夜中に何をこそこそとしていたんだい?」
「どうやら、チョコレートを入れてったみたいだよぅ。中身はどうだか知らないけれど、見てくれはなかなか上等だったわぁ。この夏場はチョコレートも溶けっちまうからねぇ。このお冷さんがしっかり冷やしとくさぁ」
「頼もしいねー。さすがこの家で何年も冷蔵庫をやっているだけあるわ」
「スイさんだって、あたしと同じくらいこの家にいるじゃないか。毎日ふっくらご飯を炊き上げている仕事ぶりは、そこら辺の炊飯器にはなかなか真似できないもんだよ」

 冷蔵庫のお冷さんと、炊飯器のスイさんは同じ時期にこの家に来た上に、同郷の出ということもあって、二人は仲がよく、しょっちゅうおしゃべりをしていた。

「ところで、なんであんな高いチョコレートを買ってきたんでしょうかね? 結構量もありましたし。確かご主人は甘いものがそれほど好きではないはずでは」

 興味津々に二人の会話に入ってきたのは新参者の置時計だった。

「せん、あのチョコレートはそんなに上等なものなのかい?」

 せんと呼ばれた置時計は、ご主人がゴルフの景品で貰ったとかでこの家に来た。初めてのときに「私のことはセントミカエルとお呼びください」と自己紹介をしたが、皆に、長すぎる!と一蹴さた過去がある。「そんな」と渋るせんに、だったらセントミカエルのセンを取ってせんと呼ぼうということになった。周囲の電化製品達はなかなか良いと満足げだったが、一人せんだけは不満そうだった。だったらせめてミカエルのミカの方を使ってほしいと主張もむなしく、せんという名前が定着してしまった。

「あれはゴディバとかいう高級なチョコレートですよ」

 自信満々にせんは答えた。

「じゃぁ、なんでご主人は好きでもない高いチョコレートを買ってきたのかねぇ?」
「そりゃ、みっちゃんのご機嫌を取るためだよ」

 少し離れたところにある電話機のでんさんが、子どものような高い声を張り上げた。

「そういえば、喧嘩していたねぇ」

 スイさんは「そうだったそうだった」と思い出したかのように答えた。

「どういうことですか?」
「せんはご主人とみっちゃんが喧嘩したときには、この部屋にいなかったっけね」
「あれは、三日も前のことかなぁ。みっちゃんがお風呂に入っている時に、キッチンに置いてあったケイさんに着電があってねぇ」

 ケイさんとは、みっちゃんの携帯の名前だった。

「随分長い間呼び鈴が鳴っていて、気になってしかたがなかったご主人が思わず電話口に出ちゃったんだよぉ」
「そうしたら、それがみっちゃんにばれちゃったもんだから、こりゃ大変」

 みっちゃんはまるで火花を散らすかのごとく怒ってしまい、なかなか許してくれないとか。

「三日もですか……随分と長い喧嘩ですね」
「あれは反抗期という奴だな」

 でんさんがしたり顔で言う。

「反抗期?」

 せんは、年若いためか妙なものを知っているわりに、人の生態には詳しくない。

「人間の子どもが一時的にかかる病みたいなものさ。あれにかかると、どんな些細な事でも怒りの種になっちまう、難儀な病だ」
「怖い病ですね……お嬢さんがそれにかかっているとなると心配です」

 せんは新参者の遠慮か、みっちゃんのことをお嬢さんと呼ぶ。

「まぁ、時間が経てば治るもんだがな。それでも娘に嫌われたとしょげるご主人は、見ていて辛いものがある」
「早く仲直りしてくれるといいですね」
「本当にねぇ」


 翌朝、みっちゃんが起きた頃には、ご主人はもう既に会社へと出勤していた。ご主人は朝早くから夜遅くまで、熱心に働く働き者だった。
みっちゃんは、適当にサラダや卵焼きを作って手早く朝食をとると、学校へと出かけていった。

「いってきます」

というみっちゃんの言葉だけが、静かな家の中にいつまでも残っているようだった。
その日のご主人の帰りもやはり遅かった。夜ご飯も食べずに、キッチンの入り口の柱を触りながらじっと眺めていた。しばらくしゃがんで、しばらく眺めていた後、ネクタイを取ると静かに二階へと上がっていった。

「その柱、何かあるのかしらぁ?」

 お冷さんの方からは柱がよく見えない。

「その柱には傷跡あるんだが、それはみっちゃんが小さいころ誕生日に毎年、自分の背と同じ高さの位置に印をつけていたんだ」

 昔を懐かしむようにでんさんが言った。

「あの時には、ゆいさんも生きていたからなぁ」

 ゆいさんとは、みっちゃんのお母さんの名だった。古株のでんさんが、みっちゃんのお母さんのことをゆいさんと呼ぶから、それにならって他の電化製品達もゆいさんと呼ぶ。

「誕生日を祝って、ケーキを食べる前にあそこに印をつけていたんだ」

 しかし、もうゆいさんはいない。本当に些細な事故で、寒い冬の日にあっけなく死んでしまった。

「あんときの第一報はさ、おいらが受け取ったんだ」

 でんさんが、ぽつりと当時を思い出すように言った。
夜中になっても帰らないゆいさんを心配して、みっちゃんを抱えたご主人は警察に連絡しようかと悩んでいる時だった。ご主人の不安が伝染したように、みっちゃんも不安で泣きそうにしていた。不意にでんさんが呼び鈴を鳴らすと、ご主人は電話に飛びついた。それは警察からだった。

「あんとき、ご主人の血の気が引いてく様をみっちゃんと一緒に身近で見ていたんだけど……もう二度とあんなの見たくない」

 慌てて出かけたご主人が泣きはらした目をして戻ってきたのは、次の日の朝だった。それから人が出たり入ったりしてしばらく家全体が落ち着かなかったが、それが過ぎるとまさに火を消したように静かになった。
それからご主人もみっちゃんも、長い時間をかけてゆいさんの不在の日々を二人なりに受け入れていった。

「でも……今でも、みっちゃんも、ご主人も、おいらが呼び鈴を鳴らすと、おびえたような、悲しいような目をするんだ」

 それはやっぱり辛い、そうでんさんはぽつりと呟いたが、誰も声をかけることができなかった。


 あいもかわらず、二人の不和は続いていた。

本当は皆知っていた。みっちゃんは、もう携帯電話のことでなんて怒っていない。ご主人が朝早くから夜遅くまで働きづめであることと、何日も一緒にご飯を食べることができていない事に怒っているのた。ご飯もあまり食べずに残しているから、心配でたまらないのだ。
しかし一度振り上げてしまった怒りの拳を、大人のように上手に力を抜いて下ろすことができなくて困っているのだ。無闇に振り下ろせばご主人を傷つけてしまうことがわかっているから、振り上げたままの状態でにっちもさっちもいかなくなっているのだった。
このようなときに、母親のゆいさんがいれば、上手に収めてくれるだろうが、もうゆいさんはここにはいない。

電化製品達は、すれ違ってばかりの父娘におろおろとするばかりだった。


「いい加減、仲直りをしてほしいねぇ」

「ご主人もなんだか顔色が悪そうですね……」

 日々顔色の悪くなるご主人と、日々機嫌の悪くなるみっちゃんを見て、電化製品達は毎晩相談をしあっていた。でもできることなんてほとんどなく、無意味な繰言を繰り返すだけでしかなかった。

「こういう時に相談できる相手がいるのは心強いものですね。私一人だったら無闇に不安になって秒針が狂っていたかもしれません」
「どうやら、我が家は仲が良いらしいね」

 みっちゃんのお友達が来たときに、一緒についてきたケイさんのご同業の子から聞いた話では、そのお友達のおうちでは、新参者と古参者とで派閥ができているらしく、なかなか口をきかない、という話だった。

「古参といっても、この家の電化製品に比べたらまだまだひよっこと同じくらい若い子みたいだけどねぇ」
「この家で一番古参て誰なんですか?」
「うーん、私が知っている限りではでんさんかねぇ」
「そうなんですか?!」
「なんでそんなに驚くんだ。おいらはゆいさんがまだ結婚する前に、ゆいさんのボーナスで買われてきたんだ」
「いや、声が若いから、そんなに古参だとは思わなくて。そんな昔からいるんですか」
「まぁ、この家の中では一番の古株だな。ケイさんのおかげで仕事量は減ったのはいいが、どうも年のせいか最近ベルの音が鈍いような気がするよ」
「あらいやだ。そんな事言わないでちょうだいよ。まだまだ現役でいてちょうだいね」
「もちろん。まだまだぼけちゃいないからな。故障はしないさ」


 いつものようにご主人が夜遅くに帰宅したが、少し様子が違った。
どこか苦しそうにネクタイを取って、水を飲もうとしてシンクに手をかけるも、崩れ落ちるようにしてうずくまってそのまま動かなくなった。

「ご主人? ご主人?!」
「う、うごきませんね」
「具合が悪そうだったが……大丈夫だろうか」
「しかし、倒れて動かなくなるなんて尋常じゃないわ」

 しかし、いくら心配をしたところでどうすることもできない。無意味にブーンというモータ音を鳴らして不安を落ち着かせようとするが、あまり効果はないようだった。

「みっちゃんが降りてきてくれないものか」
「お嬢さんは、この時間だったら恐らく寝ている可能性が高いです……」

 パニックになっているキッチンに、突然呼び鈴が甲高く鳴り響いた。それは今までずっと黙り込んでいたでんさんだった。

「こんな時間に電話……?」

 しかしその鳴り方はどこか尋常じゃなく、鬼気迫るようなものだった。

「でんさん……?でんさん?!あんた!もしかして、着電もないのに呼び鈴を鳴らしているのかい?!」
「そんなっ。でんさん、おやめ!それは『決め事』に反するよ!こわれっちまうよっ」

 制止の声がかかるが、まるで狂ったかのようにでんさんは高らかに呼び鈴を鳴らし続けた。

「お願いだからやめておくれっ」

 そのときに、ぱたぱたと階段から足音が聞こえたかと思うと、眉をしかめたみっちゃんがキッチンに入ってきた。

「こんな夜中に……」

 途端に呼び鈴は止まった。しかし、みっちゃんはそんなことに気づいている様子はなかった。

「――おとうさんっ!!」


 その後、でんさんにかじりつくようにして救急車を呼んだみっちゃんは、泣きながらお父さんの付き添いで救急車に乗って、病院へと運ばれていった。
まんじりとしながら長い夜が明けて、朝になるとみっちゃんが、目を泣き腫らしていたが、どこか安堵の表情をしながら家にもどってきた。ばたばたと保険証やご主人の服をバッグにつめている。

「どうやら、ご主人は助かったみたいだよ」
「でんさんのおかげです」

しかし、でんさんからの返事はなかった。

「でんさん、やっぱり疲れちゃったのかねぇ」
「あんなに一生懸命鳴らしたからねぇ。そりゃぁ、疲れるだろうよ」
「そんなに『決め事』とやらを破るのは大変なことなんですか?」
「そうさね。これは神様の約束なんだよ。私達が感情を持って話したりできる代わりに、人の手ではなくその感情でもって動いてしまうことを禁じているのさ。それを破ると故障してしまう可能性があるんだ」
「でも、でんさんはそれでも構わないと思った。だから鳴らしたんだよ」

 みっちゃんが、ご主人のカップを取ってキッチンから出ようとしたときに、チンと一つ、呼び鈴が鳴った。みっちゃんが振り返ってでんさんを見つめると、手を伸ばして優しげに撫でた。

「――ありがとう」

 そう呟くみっちゃんの目は温かかった。

「お嬢さん、でんさんの呼び鈴の音を聴いても、怖がるような悲しむような目をしていませんでしたね」
「そりゃぁ、ご主人を助けるためにあんなに頑張ったんだぁ。みっちゃんもご主人も、きっと今後はでんさんのベルの音を聴いても悲しい目なんてしないよぉ」
「そうそう。だから、早く元気になっておくれね、でんさん」


でんさんが静かに笑った気がした。


 でんさんはリンリンと呼び鈴を鳴らしていた。ゆいさんが空からひとりぽっちで家族を見守っている様が寂しそうで、それならば少しは明るくしてやろうと、精一杯楽しげに鳴らしていた。

 しばらくは二人だけだけど、いつかお冷さんも、せんもスイさんも、そしてご主人もみっちゃんもここにやってくるだろう。もしかしたら、せんは一人遅れてくるかもしれない。何せ100年も動いていた時計の歌もあるくらいだ。大事にされたらそれ位長生きするかもしれない。
せめて、みっちゃんが結婚するくらいまでは現役でいたかったが、そんなことを願っても仕方がないということはわかっていたし、後悔もしていない。みんながここに来るのを待って、それからわいわいと騒ぎながらこの道の先へと向かえばいい。この先はきっと幸せな世界だ。
でんさんは、ふぅふぅと幸せそうに息を切らして、ゆいさんの横でベルを鳴らし続けていた。

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